2011年3月31日木曜日

東京都多摩市民から北海道札幌市民になりました。

というアレで、大学も124単位取ればいいところを134単位取って無事卒業し(4年後期に55単位取得という荒技)、2年間暮らしたアパートを引き払い(ちょっと泣いた)、卒業式(中止になったので自主開催)など種々の卒業系イベントもこなして、札幌へと移住しました。ちょうど今日(30日)、住民票も移し、免許の住所変更もし、銀行口座の住所変更もしたところ。

4月1日には入社式があり、そのまま研修所にて2週間の研修に入ります。研修終了後の勤務地は札幌市内。

これからは、なんでも比較的自由に発言できた学生時代とは異なり、下手に社名とか出したり(*1)仕事に関係すること書いたりすると非常にやっかいなことになるので、当然ながらかなりの制限が加えられる訳なんですが、それでもノリ的にはこれまでとあまり変わらず書き留めて行けたらなと思っています。

北海道を、「行きたい場所」から「住みたい場所」へ。
最初の数年間は給料もあがんないし覚えることばっかで目の前しか見えなくなりそうなんですが、それでも内定を戴くことを決意したときのこの想いは忘れずにいるつもりです。北海道の開拓はまだ道半ばなんだ。

道産子らしく、冬のアイスバーンですべらないよう、雪解けのぬかるみにはまらないよう、地道に1歩1歩踏みしめて進んでいきつつも、決して目線は下げません。


*1:「社名を出す」ことの是非についてはちょっとちゃんと考えてみたい気がする。

2011年3月18日金曜日

自分のポジションにあった職を探せ。

昨日ゼミの教官とゼミ生数人と食事中、就活中の後輩がこんな話をしていた(先生ごちそうさまでした)。

「行きたい企業(総合商社)のESがなかなか書けない。ある程度までは書けるけれど、月並みで、その業界の企業(5大商社)ならどこにでも言える話で、『その企業』を志望する理由になっていない。」

それに対しての先生の回答に納得したのでメモっておこうかな、と。

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まず、その企業が"いまどんな仕事をどうやってしているのか"をみるのは当然だけれど、その企業の歴史もみて、そして今後仕事の内容とやり方はどう変わっていくのかを考える。
とくに商社はこれをしっかりやらねばならない。"いま"はプロジェクトファイナンスの形を取っているけれど、昔はそうじゃなかったし、多分今後も変わるはず。
その企業の将来の姿をイメージした上で、自分はそこでどういう仕事をしているのかを考えて、「したい」と「できる」を絡めて書けばいい。

総合商社を受けるなら、「平均点をあげるES」ではなく「刺さるES」を書かなくてはならない。東大の学生なら平均点をあげるだけで採ってもらえるが、うちの大学(首都大)の学生ではそうはいかないだろう。ミスの無いESではなく、「こういうやつなんだ」と思ってもらえる、刺しに行く、しかし刺さるか刺さらないかは確実ではない、賭けのようなESを書かなくてはならないだろうと思う。

そのためにも、自分の立ち位置を考える必要がある。
たとえば海外事業で働きたいとか思っても、もし企業が北京で仕事をするなら、日本人で北京に"くわしい"やつを取るより、日本人で北京育ち・北京大卒のやつとか、日本語を話せる中国人を採用した方がいい。そういうやつらと勝負をしても勝てない。

去年卒業したM君はその意味でうまくやった。彼は1年間北京に留学したが、たった1年だ。北京で育ったやつと勝負しても勝てない。彼は考えてか考えずにかはわからないが、「ローカルでやっていて、これから海外に出る」企業を受けて、入った。彼は内定を貰った時点で自分の仕事が見えていただろう。「俺は中国事業をやるために採用された」と。そういう"立ち位置"を考えなければいけない。

自分の立ち位置に合わない企業に入っても苦労する。自分のポジションに合った企業を受ける方がいい。
もし総合商社で働いている自分がイメージ出来ないのなら、「受けるのを辞めた方がいい」とは言わないが、もしかしたら合っていないのかもしれないよ。

学生のtweetをみていると「大きなことに挑戦している」と思いながら就活しているんじゃないかと思わせられる人がいる。それはあくまで「受かること」しか見えていなくて、そういう人は入社後に苦労するんじゃないかな。「受かること」じゃなくて、「どんな仕事をどうやってしているのか」を考えた方がうまくいくと思う。

僕は君たちがうらやましい。就活をする期間が長くて。考えられる時間が長くて。僕の頃(バブル)は6月に始まって7月に終わっていたのだから。
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的な感じでした。酒の席だったのでちょっと間違いがあるかもしれないけど、大筋は合ってるはず。

ずっと思っていたことを言ってくださった!w

できない仕事をしようとしても苦労する。もちろんどんな仕事だって楽なはずはないけれど、そもそもしたい仕事をさせてもらえないかもしれない。"仕事は与えられるもんじゃなくつくるもんだ"なんて言ったって、たぶん与えられた仕事もこなせない人には仕事をつくる機会はまわってこない。

就活生は、自分の立ち位置、ポジションをよく考えて、それにあった企業を受けてほしい。

就活の「選択と集中」。

これは当然就活でも言える。:人生には「選択と集中」が大事な瞬間がある http://bit.ly/eNmZf3

「ESを50社に出した」みたいな話は「どこでもいいから就職したい」人がよく口に出すけど、それでうまくいく人もいるけれど、実は真似しないほうがいいんじゃないかと思う。
自分の時間とエネルギーを分散させているんだから。

50社にESを出しても、その中で比重をつけられるならいいと思う。
50社どれも均等な質のものを書くのって、そもそも時間やエネルギー(やアタマ)がある人ならやれるしやればいいけど、普通の人はそうじゃないはずで、ならば選択と集中をしたほうがいいんじゃないか。

言われ尽くしていることだけど、「どこでもいいから就職できればいい」じゃなくて、その企業で自分が仕事をしている姿をしっかりイメージ出来る企業のESを書いた方が、当然ながら質は上がる。
その姿がイメージできないなら書かない方がいい。

とはいえ、ESを書いていくうちに「自分がその企業で働いている姿」がつくられてくることも多い。
だから、業界研究・企業研究をして、ESに手を付けてみて、なお企業研究をして、それでもESが書けそうにないならとっとと次の企業のESに移った方がいいんじゃないかな、とか思いながら就活してた。

ちなみに業界研究とか企業研究とか仰々しい言葉だなあと思うけれど、別に「研究」なんてしなくてよくて、好きな人やモノができたときにその人やモノのことをよく知ろうとするのと同じようにやればいいんじゃないかと思う。

その人と付き合っている自分をイメージする。あるいは、そのモノを使っている自分をイメージする。
正しくイメージするには、「きっとあの娘はこういう人」とか「あの商品はこういうもの」みたいな勝手な妄想じゃなくて、現実に即した、詳細な情報がいるはず。

「もっとあの娘のことを知りたい」「もっとあのブランドについて知りたい」みたいな欲求って大なり小なりあるはず。そういう欲求から、現実に即した詳細な情報を集めればいいだけだと思う。

2011年3月17日木曜日

「イイネ!」が定義する人間関係について。

Facebookやmixiで「イイネ!」ボタンってあって、それを押すたびに思うんだけど、「イイネ!」って確かに人間関係を丸くしてくれる必殺技なんじゃないか。しかしその一方で、なんかうさんくさいと言うか。

「イイネ!」がうさんくさいっていうのは、「それほんとに『イイネ!』って思ってる?」ってことで、あるいは「自分は『イイネ!』と思ってるけれど、それは伝わっているかな?」ということで。

あと、「イイネ!」で終わらせちゃいけない話に「イイネ!」をつけるのはやっぱり軽く感じる。これもまたお互いにそうなんだと思う。

それでも「イイネ!」がうさんくさくない関係をつくるのは、やっぱり「イイネ!」を続けることなんじゃないかと思う。自分は心から「イイネ!」を言い、受け手もそのことをわかってくれている関係。それが出来れば、別にもう「イイネ!」なんていらない。

SNSの「イイネ!」ボタンって、結局のところ「イイネ!」を言わなきゃいけない関係を越えさせるものにはならないんじゃないかと思う。逆に言うとSNSが人間関係のあり方を定義することもあり得そうで、それってなんだか寂しいなあと思ったり。

これどっかで読んだことあるなあ。実感したってだけか。

姿勢は意図しないとつくれないよね。

各国が原発を止めたりなんなりしているのは、「原発が無条件に危険だから」じゃなくて、「人々が『原発は無条件に危険』と思っているから」なんだろうなあ。

実家帰って愕然としたのだけど、ばあちゃんも母さんも、Skypeは俺より使ってるのに、インターネット上の情報はまったく見ず、ほぼ100%テレビからの情報に頼っているということ。これは東京にいる60歳の伯母(Galaxy tabユーザー)もそう。

テレビが言っていることを「やっぱりこういうことなんだよね」なんて自分の言葉みたいに言う。テレビが全てであって、テレビ以外の情報はそもそも耳に入らない。耳に入らない以上、信じるも疑うもない。かなりの恐怖を感じた。

そしてきっとそういう人たちが日本にはたくさんいて、そういう人たちが「原発ってよくないよね。思ってた通り」なんてことを、「ウラン」って言葉さえ知らずに平気で口にする。

企業や政府の合理的な選択は、そういう人たちをそういう人たちとして受け入れ、そういう人たちに受け入れられる行動を取ること。果たして本当にそれでいいのかなんて思ってしまった。

2011年3月10日木曜日

Twitter(というかtwtr2src)との連携をやめてみた。

Twitterでのpostを
 twtr2src → Gmail → Evernote & このblog
という形で投稿していたのだけど、いい加減うるさいのでやめてみました。

そいで、tweetの中から(自分なりに)「いいこと言った!俺いいこと言った!(・∀・)!」と思うものを再編集して記事にしてみることにしました。これは多分楽!

すべてのtweetのログは、画面右上「自己紹介」のところのhttp://twilog.org/k_kobayashiからみられるはずなので興味のある人は是非。

とりいそぎ今年2月以降の記事を編集してみました。RSSリーダーにはフィードが配信されていることかと思いますが、汚してしまったらごめんなさい。


(このあと新宿で先輩・後輩と食事です)

2011年3月7日月曜日

「迷惑をかけることが辛い人」

多分「迷惑をかけることが辛い人」ってのはいて、そういう人は誰かに寛大な対応をされればされる程辛いんだろう。寛大度合いって裏返せば自分の迷惑かけてる度合いな訳で。

僕はたぶん性分的には「人に迷惑をかけても全然平気」なタイプなんだけど、頭ではそれをよくないと思っていて、被害者になろうとするから困る。

2011年3月4日金曜日

電車旅と車旅の違い。

1、2日はゼミ生と卒業旅行で伊豆に行ってきたんだけど、伝統的な観光地の力を思い知った。到着当初は「古っ!」「ボロっ!」とかネガティブな印象だったんだけど、帰る頃にはノリノリ。1泊2日はちょうどよかった。

先月末の四国・中国旅行や今回の卒業旅行は、一切電車に乗らずに車だけでの移動だったんだけど、電車旅と車旅の違いがちょっと見えた気がする。

電車はその土地・地方のサマリーを手に入れられて、車だともう少し詳細な部分を手に入れられる感じ。電車ではあまり感じられない道の起伏には驚かされるし、往く人々の表情には1人1人のリアルが垣間見える。生活のシーンにお邪魔する感覚。

今回は結構長い時間運転させてもらえたんだけど、車楽しい!「若者の車離れ」とか言うけど、俺は早いとこ車欲しいわ。200kmでも300kmでも走れる。電車が「店で飲むコーヒー」なら、車は「自分で淹れるコーヒー」。疲れるけど、楽しい。

ちなみに伊豆旅行は事前に地図とか一切見ずに行ったんだけど、帰宅後地図見て恥ずかしくなった。自分が居る場所まったくわかってなかった。道中iPhoneで地図見ようにも電波が入らないところもあったし、紙の地図ってまだまだ便利やも。