2012年9月24日月曜日

GL01Pに関するメモ。

2007年春に大学に入り、学生寮に入った。
この学生寮、90年代前半に建てられたものだが、「インターネットが使えない」ことがその特徴だった(もちろん入るまで知らなかった)。
大学1年生という時代にも終わりが近づいた頃、2007年の冬にようやく工事が入り、寮生はこぞってプロバイダと契約をし始めた。僕もプロバイダと契約をして有線でネットを使うことにしたが、入学してすぐの時点でどうしてもネットが使いたかったので、同年5月にイー・モバイルのD01NXを契約していた(*1)。フレッツ光の契約後も、イー・モバイルは解約せずにずっと使っていた。Let's note CF-W5とD01NXの組み合わせは最強だった。

大学4年の初夏に初代iPadを買うときになって、D25HWに機種変更をした。
寮はとっくに出て、新しいアパートではネット回線を引いていなかったので自宅でもD01NXを使っていたのだけれど、これではiPadをネットに繋げない。そんなタイミングで登場したD25HWにはすぐに飛びついた。

社会人になり、会社の寮に入った。この寮は古い建物で、今年で築34年になる。ネットは「最近使えるようになった」とのことだが、よくわからないプロバイダ1社しか選択肢が無く、料金もかなり高い。だから、新しく買ったiMacにもD25HWをつないで使っていた。
D01NXはCFカード型だったので長時間接続しっぱなしにしても機械自体のトラブルはなかったが、D25HWは単体で持ち運ぶことを前提に作られた製品で、連続使用していると電池パックが徐々に膨らんできた。

そろそろ限界かなあと思っていた今年(2012年)春、イー・モバイルの担当者からの電話で、GL01Pを知った。なになに、LTE?それ光並の速さなの?しかもこの電話1本で機種変更・本体送付してくれるの?月額料金もいまより安くなるの?すごいやんかあ、ということで契約し、今に至る。

このGL01P、さすがにD25HWと比べると速いんだけど、最近不便な点が見えてきた。
いまの使用感などを箇条書きでメモしておきたい。


  • LTEはやっぱり速い。YouTubeの読み込みも、動画の長さにもよるが一瞬。読み込み待ちになることも少ない。
  • 電池のもちは、あまり外に持っていかないからわからない。
  • iMacのUSBポートにつなぎっぱなし・電源入れっぱなしにしているが、特に電池部分が膨らんだりといった事象はまだ起こっていない。
  • そもそも、電池パックは交換出来ない形式。
  • 最大10機まで接続できるので、iMacもWi-Fiで接続しているし、iPod touchもiPadも、ときにはiPhone4SもWi-Fiで接続して便利に使える。
  • GL01Pには新しいSIMが同梱されていて、機種変更というよりは解約・新規契約というかたちになる。
    • だから、D01NX→D25HWと使ったSIMカード(赤SIM)は、GL01P到着後一定期間が経つと使えなくなる。
    • (端末の話ではなくなるけれど、)解約・新規契約なので、当然番号は変わる。
      • My EMOBILEにアクセス出来なくなる。
といったところまでが既に思っていたことで、最近知ったのは、
  • D25HWまでは端末毎にIPアドレスが振られていた(グローバルアドレスを取得していた)が、GL01Pではプライベートアドレスしか振られていないので、「みんなでひとつのIPアドレスを使う」状態になる
    • つまり、他の人がアクセスしたものであっても、サーバー側から見れば「同じ人がなんどもアクセスしてきている」ように見える
    • なので、アクセス制限により引っかかりやすいようだ
      • たとえば、FC2動画。いつアクセスしても動画が観られない
      • 「○○分に1回」しかアクセスできないようなサイトにもアクセス出来ない
    • 端末毎にグローバルアドレスを取得できるプランは最近になって始まったが、月2GBまでは3,380円で、それを超える場合は2GB毎に2,100円かかるらしい。現実的じゃない
    • GL01Pに同梱されてきた新SIMをD25HWに差しても、グローバルアドレスを使えるようになるわけではない。
  • また、ポートの開放が出来ない
    • つまり、ポートを解放しなければ使えないサービスは利用できない
ということ。まあ速いからいいんだけど、いろいろ制限されてしまうよね、ということに気がついてちょっとだけどうしようか考えてる。


(*1)でも全館鉄筋コンクリ打ちっぱなしな造りだったので、部屋は圏外。上述の通りプロバイダと契約するまで、唯一電波の入る共同スペースまでわざわざ出てネットをしていた。

2012年9月18日火曜日

結婚を考える歳になりましたが。

7月に25歳になったけれど、最近は「結婚」についてちょっとだけだけど考えてしまう。
マンガ『サイコメトラーEIJI』(連載は90年代後半)で、女性刑事の志摩さんが25歳になっても結婚していないのをみて、主人公の妹が「クリスマスケーキ」と表現していたのが忘れられない。25歳までが結婚適齢期で、それ以降は25日を回ったクリスマスケーキのように叩き売りされる、という皮肉。

職場の先輩とかが続々と結婚していて(入籍のみだったり式をあげていたり。この週末に同い年の先輩が入籍した)、親からは「あんたもそろそろだね」「26〜27歳くらいには結構かね」とか言われるけど、現状ではまったく魅力が起きない。

もちろん、結婚した人たちのことは心からめでたいと思ってる。涙を流すくらいうれしいことだったりする。
そしてもちろん、将来的には結婚したいと思っている。家庭を持って、にこやかに暮らすような時期は楽しみだったりする。

でも、「僕が」「この地で」「この歳で」結婚しちゃうって、よくとれば「身を固める」ことだけど、僕には「どこにもいけなくなる」ことに思えてしまう。

「いい年してふらふらして」とかいうのが、悪いことに思えない。羨ましく思う。ふらふらしていても生きていけるようになりたい。
ある種の能力や強さがなければ、ふらふらしていたら死んでしまう。ふらふらしていても生きていける能力や強さが欲しい、と思う。

ああ、3連休が終わってしまった。

2012年9月14日金曜日

新宿と言えばEPSON。

http://www.garbagenews.net/archives/763352.html

大学1年の5月、サークルの新歓合宿の買出しで初めて新宿歌舞伎町入り口らへん(靖国通りのドン・キホーテ)を訪れて、やっぱり印象的だったのがEPSONの看板だった。新歓合宿で迎えられる側だったのになぜか新入生の僕が買出しに参加するという。

それからも靖国通りを通るたびにあのEPSONの看板の存在感は大きかった。

気がついたらあの看板なくなっていたものなあ。なんだか寂しいよなあ。

今日、プリンターを買い換えました。我が家は1996年からずっとEPSONです。

2012年9月4日火曜日

moumoonの季節がやってきた。

大学2年の秋、入学したばかりの自動車学校が潰れた。

学内のサークルで大学祭の出店の準備をしていたんだけど時間になってもなかなか来ないメンバーが居て、「遅いけど何をしてるんだろう」という話の中で、「そういえばあいつが通っていた自動車学校、潰れたらしいな」と聞いた。「へえ、かわいそうに」とか思っていたけれど、寮に帰ったら郵便受けに1カ月前に入学したばかりで1度も通っていなかった自動車学校からの郵便が入っていた。さすがにその日の晩は熱が出た。

結局、大学生協経由で別の自動車学校に入ることが出来た。秋も深まった11月末頃、雨が降る午後に入学手続をしに行ったのを覚えている。京王線柴崎駅そばの自動車学校。あとから聞いた話だけど、ここは「合格率都内No. 1」の教習所として有名だったらしい。それと同時に、「卒業生の事故発生率都内No. 1」でもあったそうなんだけど。入学金・授業料は全額大学生協が立て替えてくれた。

3年の夏休みの終わり頃、入学手続き以来一度も訪れていなかったこの自動車学校から電話が来た。「期限が迫っているよ!」という話だった。よく覚えていないけれど、入学から一定の期間のうちに仮免を取らないと全部パーになるらしい。そこからはこりゃまずい、と思って毎日のように通った。

10月が終わり、11月に入って、「ひと雨ごとに秋が深まる」時期も大体終わって秋が深まりきった頃を迎えても、僕はまだ京王線に揺られてこの自動車学校に通っていた。京王線は、新宿〜明大前くらいは都会らしい街並みが車窓に広がるけれど、そこから調布まではほとんど田園地帯になる。芦花公園とか実に田舎だ。八王子と変わらん。

この頃に、初めてmoumoonを聴いた。教習所で、次のコマまで時間があって、休憩室でのんびりしていたときだったと思う。『青い月とアンビバレンスな恋』が有線のスピーカーから流れてきた。当時は、西野カナとか加藤ミリヤあたりを例に出したり、AKB48と嵐がオリコンチャート独占〜とか言ったりして、JPopの衰退を声高に叫び始めた時代だった。そんな中で、場末の教習所のスピーカーから流れてきたこの曲はどこか違って聴こえた。



あれから3年、秋と言えばmoumoonな訳です。去年の10月に東京に遊びに行って、ひとりで空港から友達の家まで深夜に歩いたり、自転車を借りて山手線の内側を走り回っていたときも、ずっとmoumoonを聴いていた。

また、秋がやってきた。まだちょっと暑いけれど、9月はどうしようもなく象徴的に秋の始まりだと思う。
京王線、調布、自動車学校、雨、蒲田、国道15号、深夜2時、恵比寿、自転車、青山。そういったキーワードが出てくるような気がする。







2012年9月3日月曜日

グレーな方がいいときもある。

非常にくだらない話なんだけど。

ルールにはグレーゾーンがあった方がいいときもあるんだと思う。

9月に入って、仕事がちょっと暇になって。もちろん何かしらすることはあるので暇ではないんだけど業務中少しだけ心に余裕が出来て。
すると眠くて眠くて。いつもは昼食をとった午後、15〜16時頃が眠気のピークなんだけど、今日は寝不足で午前中から眠くてしょうがなくて。

どうやったら眠くならないかなーなんてこの半年ずっと考えてきた。
もちろんいちばんいい答えは「仕事に熱中してないから眠くなるんだ。熱中しろ!のめりこめ!そうすれば眠たくなんてならないはずだ!」みたいな感じなんだろうけど、無理だよ。「いつでも・どこでも寝れる」を特徴として四半世紀生きてきたんだ。どんなに楽しくても眠くなるときは眠くなる。

コーヒーを飲む。フリスクを食べる。栄養ドリンクを飲む。これらも試したけれど、全部駄目だった。常にコーヒーを飲みながら仕事できれば頑張れるんだろうけど、机での飲食は(明文化こそされていないものの、暗黙のうちに)禁止されている。

そんな中たどり着いた答えは、「眠たくなったら1回寝る」こと。
中高生の頃とか、授業中に眠くなって、居眠りしちゃって、それから目が覚めるともうひとつも眠たくないってことはみんな経験していると思う。
僕は中学のときには、塾でどうしても眠たくて、ひたすらに戦っていたんだけれど1回がくんっと落ちてしまって、そこからの数十分は眠たくならないどころかものすごい集中力を発揮できたのを覚えている。

だから最近は、どうしても眠たくなったら1回トイレの個室に入って、iPhoneのアラームを4分にセットして寝ちゃうことにしている。これ職場の人にバレたらなんて言われるんだろう。でも、眠気と闘いながら朦朧とした頭で60分机に向かって何にも産まないくらいなら、4分トイレで寝て、56分集中したほうがよいと思うわけで。

んでふと「昼寝を許容してくれたらいいのになー。食堂で15分くらい寝ていても怒られない文化ってうちの職場に生まれないかな」とか思ったけれど、これは非常にまずい。
「お前昼寝タイム使ったんだからきっちりやれや」みたいな空気ができたらこまる。

周りの話を聞くと、先輩方の中にもこっそりトイレで睡眠をとっている人はいるみたいで。そういう人たちと、こっそり「やっぱ寝ますよね」みたいな話を共有して、みんなで力を合わせて頑張る職場の方が僕はいいと思う。あえて大きな声では言わないけれど、みんなやってるよね、という。そういうグレーゾーンを許容する職場が今は居心地がいいです。科学的にみてそれが成果につながるのかどうかはわかんないけど。

2012年9月2日日曜日

「じっくり考える場所」が欲しい。

学生時代と今とで、思考の深さと広さが変わったなあと思う。むちゃくちゃ浅くなったし、狭くなった。

もちろんいろんな理由があると思う。1日の大半は仕事をしているわけだし、仕事ってのはじっくり考えている余裕なんか無かったりするし(もちろん思考の深さと広さは求められるけれど、それよりも求められるのはスピード)。さらに、仕事が終わって職場を出るとクタクタになってしまっていて考える体力が無かったり。そもそも、老化もあるんだろうけれど。

ふと思ったんだけど、僕は学生時代に「どこ」でモノを考えていただろうか。
サークルのことを考えたりだとか、ゼミのことを考えたりだとか、大学の試験勉強だとかって、どこでやっていただろう。どんな場所で考えるのがいちばん思考を深く広くしていただろう。

自分の部屋ってあんまり物事を考えられなかった。これは今でもそうで。
思いつくのは、マクドナルドだったり、デニーズだったり、タリーズだったりする。
それも大抵、A4のレポート用紙かLet's noteを目の前に置いて。

自分が物事を考えるときって、思い返すと、何か「書く」ことに集中することが出来る場所だった。
だから自室はダメだ。自室の机の上には、いまもむかしも、色々なものが転がっていてモノを書くなんてとても出来ない。「じゃあ机の上を片付ければいいじゃないか」って、そんなの無理だ。20年前から僕の机の上はゴミだらけだったんだ。

モノを書くことが出来る場所が欲しい。この札幌で。
というわけで、業後はやっぱりカフェに行くことになるのかなあ。