2012年6月17日日曜日

衰えたのか、状況が変わっただけなのか。

リアルグラフへの違和感 - naoyaのはてなダイアリー
なんか facebook のコメント blog とかに表示するやつに投稿されてるコメント、なんか素直に読めない感じのコメントが多い。・・・うまく言葉にできないので過激な言い方をすると気持ち悪いと感じるというか。ひどい言い方で、すみません。
実名とかで現実のアイデンティティを担保にとれば、コメントとか炎上もなくなってまともになるでしょうって話だったけれど、facebook でそれが現実になってみたが結果的にはぜんぜんまともじゃなかった。
アイデンティティが現実世界のそれだから、いろんな意味で発言の評価が本人に結びつけられた場合のフィードバックが強すぎるんじゃないだろうか。書く側は、なんだか立派なことを言ってみたり思ってもないことを言ってみたりと格好つけるし、読む側からの印象としてはそれ全部がひどいポジショントークに見えてしまって気分が萎える。
 大学1年生の頃が「人生でいちばん楽しかった時期」だなって思えるのは、こういう文章を読んだ時に「個/集団」とか「オンライン/オフライン」とか「匿名/実名」とかってキーワードからなんやかんや考え始めて、間違っているとしても1つの仮説までは考えてたなーと思うから。頭悪かったけど(いまでも悪いけど)、最後まで自分で考えて答えを出していた。そのプロセスってやっぱりむちゃくちゃ楽しかった。

社会人になってからか、することが増えて、しなきゃいけないことが増えて、「とりあえず」の答えばっかりになっている気がする。
もちろん、大学1年生の頃に出した「答え」だって「とりあえず」のものでしかなかったけれど、それでももう少し深く広く考えていたと思う。

そして多分それは、僕の場合、そのテーマが自分の興味のあること/好きなことであったからと、1つのことを考え始めたら何にも邪魔されない環境が出来ていたからだと思う。授業は行かず、部屋にこもって、あるいは新宿や渋谷のカフェに出かけて、ノートに向かったり、パソコンに向かったり、時にはニコニコ動画を何時間も見たりして、何者にも邪魔されずに好きなことだけを考えられたから。そして、ぶつけたい時にぶつけたい相手に向かって意見をぶつけて、返してもらっていたから。
いまは、何かに興味を惹かれてもそれよりも明日の仕事の段取り考えなきゃーあれもしなきゃこれもしなきゃーってなって、思いついた時点で思考停止。

大学1年生当時に考えていたことだって生産性ゼロだと思うけど(だって自分が好きなだけで誰かの役に立つようなことじゃないもの)、じゃあ今の状況は生産性が上がっているかっていうとやっぱりゼロなんだと思う。

この際生産性はどうでもいいや。好きなことじゃなくてもいいや。深く考えて、自分なりに答えを出す事の楽しさを手に入れられれば。
そしてあわよくば、自分の好きなことを考えられるようになりたい。レベルの問題はこの際置いておくよ。

そんなことをふと思った、久しぶりに暇な時間。

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