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2012年10月11日木曜日

思い出をコレクション。

風邪ひいて夕方から6時間くらい寝ていて、全然眠くならないのでチラ裏的なエントリを。

iTunesで、中学時代以前、高校・浪人時代、大学時代、社会人になってからという年代と、春、夏、秋、冬の四季の2軸で切ってプレイリストをつくってみて、色々気づきがあった。非常に個人的な問題であって、一般化も出来ないし、何の役にも立たないのだけれど。

プレイリストが一番大きくなるのは年代を問わずやっぱり秋だった。秋には色々な思い出がある。


音楽って、写真以上に思い出を深く芳しく思い出させてくれる気がする。
たとえば、大学時代の終わりにゼミ生と四国・中国地方に旅行に行ったんだけど、そのときの写真を見るよりも、宿のふとんの中でiPodで聴いていた曲を聴いたほうが、四国・中国地方の景色が頭の中で存在感を増してくる。

そんななか、今年に入ってから新しい曲をほとんど聴いていないことに気がついた。アルバムでいうと7枚くらいは新しくiTunesに登録しているみたいだけれど、「音楽との出会い」みたいなものはあんまり無かったみたいだ。きっと、これは将来もったいない思いをするに違いない。週末にTSUTAYAに寄らなくちゃ。

2012年9月18日火曜日

結婚を考える歳になりましたが。

7月に25歳になったけれど、最近は「結婚」についてちょっとだけだけど考えてしまう。
マンガ『サイコメトラーEIJI』(連載は90年代後半)で、女性刑事の志摩さんが25歳になっても結婚していないのをみて、主人公の妹が「クリスマスケーキ」と表現していたのが忘れられない。25歳までが結婚適齢期で、それ以降は25日を回ったクリスマスケーキのように叩き売りされる、という皮肉。

職場の先輩とかが続々と結婚していて(入籍のみだったり式をあげていたり。この週末に同い年の先輩が入籍した)、親からは「あんたもそろそろだね」「26〜27歳くらいには結構かね」とか言われるけど、現状ではまったく魅力が起きない。

もちろん、結婚した人たちのことは心からめでたいと思ってる。涙を流すくらいうれしいことだったりする。
そしてもちろん、将来的には結婚したいと思っている。家庭を持って、にこやかに暮らすような時期は楽しみだったりする。

でも、「僕が」「この地で」「この歳で」結婚しちゃうって、よくとれば「身を固める」ことだけど、僕には「どこにもいけなくなる」ことに思えてしまう。

「いい年してふらふらして」とかいうのが、悪いことに思えない。羨ましく思う。ふらふらしていても生きていけるようになりたい。
ある種の能力や強さがなければ、ふらふらしていたら死んでしまう。ふらふらしていても生きていける能力や強さが欲しい、と思う。

ああ、3連休が終わってしまった。

2012年9月14日金曜日

新宿と言えばEPSON。

http://www.garbagenews.net/archives/763352.html

大学1年の5月、サークルの新歓合宿の買出しで初めて新宿歌舞伎町入り口らへん(靖国通りのドン・キホーテ)を訪れて、やっぱり印象的だったのがEPSONの看板だった。新歓合宿で迎えられる側だったのになぜか新入生の僕が買出しに参加するという。

それからも靖国通りを通るたびにあのEPSONの看板の存在感は大きかった。

気がついたらあの看板なくなっていたものなあ。なんだか寂しいよなあ。

今日、プリンターを買い換えました。我が家は1996年からずっとEPSONです。

2012年9月3日月曜日

グレーな方がいいときもある。

非常にくだらない話なんだけど。

ルールにはグレーゾーンがあった方がいいときもあるんだと思う。

9月に入って、仕事がちょっと暇になって。もちろん何かしらすることはあるので暇ではないんだけど業務中少しだけ心に余裕が出来て。
すると眠くて眠くて。いつもは昼食をとった午後、15〜16時頃が眠気のピークなんだけど、今日は寝不足で午前中から眠くてしょうがなくて。

どうやったら眠くならないかなーなんてこの半年ずっと考えてきた。
もちろんいちばんいい答えは「仕事に熱中してないから眠くなるんだ。熱中しろ!のめりこめ!そうすれば眠たくなんてならないはずだ!」みたいな感じなんだろうけど、無理だよ。「いつでも・どこでも寝れる」を特徴として四半世紀生きてきたんだ。どんなに楽しくても眠くなるときは眠くなる。

コーヒーを飲む。フリスクを食べる。栄養ドリンクを飲む。これらも試したけれど、全部駄目だった。常にコーヒーを飲みながら仕事できれば頑張れるんだろうけど、机での飲食は(明文化こそされていないものの、暗黙のうちに)禁止されている。

そんな中たどり着いた答えは、「眠たくなったら1回寝る」こと。
中高生の頃とか、授業中に眠くなって、居眠りしちゃって、それから目が覚めるともうひとつも眠たくないってことはみんな経験していると思う。
僕は中学のときには、塾でどうしても眠たくて、ひたすらに戦っていたんだけれど1回がくんっと落ちてしまって、そこからの数十分は眠たくならないどころかものすごい集中力を発揮できたのを覚えている。

だから最近は、どうしても眠たくなったら1回トイレの個室に入って、iPhoneのアラームを4分にセットして寝ちゃうことにしている。これ職場の人にバレたらなんて言われるんだろう。でも、眠気と闘いながら朦朧とした頭で60分机に向かって何にも産まないくらいなら、4分トイレで寝て、56分集中したほうがよいと思うわけで。

んでふと「昼寝を許容してくれたらいいのになー。食堂で15分くらい寝ていても怒られない文化ってうちの職場に生まれないかな」とか思ったけれど、これは非常にまずい。
「お前昼寝タイム使ったんだからきっちりやれや」みたいな空気ができたらこまる。

周りの話を聞くと、先輩方の中にもこっそりトイレで睡眠をとっている人はいるみたいで。そういう人たちと、こっそり「やっぱ寝ますよね」みたいな話を共有して、みんなで力を合わせて頑張る職場の方が僕はいいと思う。あえて大きな声では言わないけれど、みんなやってるよね、という。そういうグレーゾーンを許容する職場が今は居心地がいいです。科学的にみてそれが成果につながるのかどうかはわかんないけど。

2012年9月2日日曜日

「じっくり考える場所」が欲しい。

学生時代と今とで、思考の深さと広さが変わったなあと思う。むちゃくちゃ浅くなったし、狭くなった。

もちろんいろんな理由があると思う。1日の大半は仕事をしているわけだし、仕事ってのはじっくり考えている余裕なんか無かったりするし(もちろん思考の深さと広さは求められるけれど、それよりも求められるのはスピード)。さらに、仕事が終わって職場を出るとクタクタになってしまっていて考える体力が無かったり。そもそも、老化もあるんだろうけれど。

ふと思ったんだけど、僕は学生時代に「どこ」でモノを考えていただろうか。
サークルのことを考えたりだとか、ゼミのことを考えたりだとか、大学の試験勉強だとかって、どこでやっていただろう。どんな場所で考えるのがいちばん思考を深く広くしていただろう。

自分の部屋ってあんまり物事を考えられなかった。これは今でもそうで。
思いつくのは、マクドナルドだったり、デニーズだったり、タリーズだったりする。
それも大抵、A4のレポート用紙かLet's noteを目の前に置いて。

自分が物事を考えるときって、思い返すと、何か「書く」ことに集中することが出来る場所だった。
だから自室はダメだ。自室の机の上には、いまもむかしも、色々なものが転がっていてモノを書くなんてとても出来ない。「じゃあ机の上を片付ければいいじゃないか」って、そんなの無理だ。20年前から僕の机の上はゴミだらけだったんだ。

モノを書くことが出来る場所が欲しい。この札幌で。
というわけで、業後はやっぱりカフェに行くことになるのかなあ。

2012年6月24日日曜日

忙中に閑を求めて。


これまで海外は

  • 韓国
    • ソウル
  • 中国
    • 上海
    • 成都
    • 北京
    • 青島
  • 香港
と東アジアにしか行ったことがないのだけど、その経験の中でも上海と香港が強烈で、どうしても今のうちに(5年とか10年とか経たないうちに)もう一度行っておきたくて、今年の夏休みは香港に行くことにした。

そう、夏休み。9連休を取ることが出来る業種なのでばっちり取った(ここで取りたいです!と時期を申請した)。

しかしながら、世の中には「業種によって忙しい時期」というものがある。
米農家なら春と秋は田植えと稲刈りで忙しいし、税理士の先生なら3月決算の中小企業の決算事務で5月が忙しい。そしてその忙しい時期の中でも特に集中してクソ忙しい時期というものがある。
同じように、我が職種にも忙しい時期があって、その中でもある1週間がクソ忙しくなる時期というのがある。しかしその1週間が1年でいちばん忙しいなんてことは露も知らなかったペーペーであるわたくしは、その1週間に休みをぶつけてしまった。

札幌東京間の往復航空券は既に決済した。東京香港間の往復航空券も今日決済した。もちろん格安航空券、キャンセル料は50%〜100%の率でかかる。

さらに、いま僕の頭の中は「宿はどうするか?」でいっぱいである。
「香港に4泊するうち、何泊を安宿にして何泊を高級ホテルにしようか。高級ホテルはどれくらい高級にしようか。せっかくだからマンダリンオリエンタルとかマルコ・ポーロとか行ってみっか?うわー服はどんな格好で行けばいいんだろう!ペニンシュラにジーンズはまずいかな!?うーん、3万円OVERの超高級ホテルじゃなくて、8,500円位の中級ホテルにしようかな…」ときたもんである。そしてそろそろ予約・決済しちゃおうとさえしている訳である。

果たして僕は夏休みを取れるのか!?キャンセル料は払わなくても済むのか!?

ところで、なぜその1週間がクソ忙しくなるのかというと、2か月ほどかけてやる仕事の締切りがその時期だからである。ならば、前倒しで仕事を終えれば、その1週間はさほど忙しくはならないはずである。もちろん、自分の仕事だけ終わらせればいいなんて情けないことは言わない。職場全体の仕事を早めに終わらせなくてはならない。先輩方の仕事にも進んで手を出してやっつけていく。するとどうだろう、量が質に転化して仕事は出来るようになるわ、先輩方からは頼られるわ、夏休みはエンジョイできるわで、バラ色じゃないか。

というわけで、明日からは死にものぐるいで働いて素敵な25歳の夏休みを送りたいと思うわけです。でも明日から研修なので、研修明けからバリバリやることにするわけです。終わり。


2012年3月11日日曜日

「新生活を始める」という行為が好き。

基本的に飽きっぽく、変化が好きなので、「新生活を始める」という行為が好きだ。久しぶりにのんびりした週末なので思い出話でも。

思えば大きな「新生活」を始めたのはこれまでに3回あった。大学入学、学生時代の引越し、そして就職。

大学の合格発表を実家のPCで確認してからの数日は、まず実家で大学からの案内を受け取り、コンビニで航空券代を入金し、初めての自分のPC(富士通のFMV BIBLO)を買い、ANAの夕方の便で上京した。一旦練馬の親戚の家に泊まり、翌朝、大学と学生寮のある八王子へ行った。寮は大学の敷地の中にあった。生まれて初めての引越しは、引越し業者ではなく、宅配便を使った。実家から事前に送っておいたたくさんのダンボールを寮で受け取り、古い汚い部屋に運び込んだ。その日の夕方には新宿のヨドバシカメラで掃除機とプリンターを買い、慣れない京王線に揺られて持ち帰った。寮にはインターネットが通っておらず、5分ほど歩いて大学構内の無線LANの飛んでいる建物に行っては、色々とその街のことを調べた。数日経つと北海道から母親が上京してきて、伯父と3人で電器屋さんに行き、冷蔵庫と炊飯器とオーブントースターを買ってもらった。このときの冷蔵庫と炊飯器は今でも使っている。もちろん掃除機も。あとは、「とりあえず無印でものを買おう」と決めていた。新宿のルミネに入っている無印良品で、洗面器を買った。母親と秋葉原の電気街に行って、テレビのアンテナ線を買ったりもした。PCにつないで使うTVチューナーも秋葉原のヨドバシカメラで買った。これは半年ほどで壊れた。大学は山を削って整備された土地にあって、一部は多摩の原生林が残されていた。桜並木がとにかく綺麗だった。やっぱり部屋ではインターネットが使えなかったので、ホットスポットを契約して、毎日モスバーガーに行っては閉店までコーヒーで粘っていた。毎日が不安で、毎日が楽しかった。

大学3年の春には寮を出なければいけなかった。2年生の1月くらいから部屋を探し始め、3月の頭には住む街を決めた。大学の最寄り駅からは3駅離れていて、1度だけその街のボーリング場に行ったことがあった街だ。鉄道系の不動産屋さんで物件を見つけ、その足で街を下見して、次の日には住むことを決めると不動産屋さんに告げた。引越しは3月の下旬だった。寮生時代は、洗濯機は寮の備品にあったので必要なかったが、新しいアパートには無かったので買わなければいけなかった。やっぱり新宿のヨドバシカメラまで行き、売り場で一番安かった洗濯機を買った。その5畳ワンルームのアパートは、駅から徒歩で5分のところにあった。まずは、どこに何があるのかを知らなければならなかった。Googleマップで近所の地図を見まくったのを覚えている。駅のすぐそばには西友があり、西友には無印良品が入っていて、引っ越してすぐに買い物に行った。まとめ買いしようと思ったものが品切れしていて、店員さんに次はいつ入荷するかを聞いたら、「もうしないと思います」とぶっきらぼうに答えられた。どういうことですかと聞くと、「ああいうことですから」と壁の掲示を指さされた。あと1週間で閉店するらしかった。寮には机が備品としてあったが、この新しい綺麗な部屋には無かったので用意しなければならなかった。新宿のルミネエストに入っていた千円均一で白いレコードボックスを2つ買って、小田急線に2駅揺られた街にあるホームセンターで白い板を買い、レコードボックスの上に載せて机の代わりにした。東京に出ている、高校時代の友達がテレビをくれるというので、電車を乗り継いで川崎までもらいに行った。友達には後日、赤坂で3,000円のランチをおごった。ちなみにこのテレビは去年の7月に映らなくなった。新宿の千円均一はよく通った。レコードボックスは全部で12個買った。カーテンもその店で買ったし、イスもラグもその店のものだ。アパートのすぐそばを小川が流れていて、そこの桜並木も好きだった。夜更かしした次の日の朝は、寝ずにその小川沿いを歩いて牛丼屋に行って、牛丼を食べて帰って寝るというのが日常だった。

就職のために、北海道に帰ってくることになった。友達と神保町でラーメンを食べていると、母親からメールが来た。会社から、配属先と寮が決まったという通知が届いたということだった。この時点では卒業はまだ確定していなかったが、帰省のため航空券だけは買っていた。3月10日に卒業の確定を確認し、翌11日、12時半に羽田を発つスカイマークに乗った。新千歳空港に着いたのは14時過ぎ。いま思えば、スカイマークだったのによく定刻に出発し、定刻に到着したものだ。迎えに来てくれていた親の車に乗り、空港を出た。まだ千歳市内を出ないくらいのうちに、大阪の親戚からメールが来た。「こっちはあまり揺れていません」。なんのことだろうと思った。一緒に車に乗っていた祖母が「何か大きな地震でもあったんだろうか」というので、ラジオを付けてみた。どのチャンネルも、同じニュースを流していた。信号待ちで車が止まったときにちょうど余震が来て、初めて事の大きさを知った。この帰省では1週間ほど実家にいたが、実家は一度も揺れなかった。ただ、テレビは毎日同じニュースを繰り返していた。この帰省中に、実家から1時間半ほどかけて車で札幌に行き、母親と立ち食いそばを食べてから職場に挨拶に行った。その足で寮も見学した。玄関を開けたとたんにタバコの匂いが立ち込めていた。壁は古く、ところどころはがれていた。

引越しと卒業式のために一旦東京に戻った。羽田から電車を3社乗り継いだが、どの車両も暖房が切れていて寒かった。部屋に戻ると、本棚の本が全て落ちていた。2年間暮らした小さな部屋はモノで溢れかえっていて、荷造りは前日から寝ずに行ったが終わらなかった。部屋を明け渡さなければならない日に、引越し業者と大家さんに手伝ってもらいながら、無理やりダンボールに荷物を詰め込んだ。その前の日には、よく行っていた近所の牛丼屋に行き、マクドナルドに行き、ファミレスに行き、その帰り道にちょっと泣いた。iPodで、銀杏BOYZの「東京」をずっとリピートして聴いていた。部屋を明け渡した日は、友達の部屋に泊めてもらった。翌日、練馬の親戚の家に移り、数日滞在した。この間に卒業証書を受け取りに大学に行ったり(卒業式は中止になった)、ゼミの追いコンに出たり、サークルの友人たちと食事に行ったりした。3月25日の昼に、ANAで北海道に帰った。4年ぶりの片道切符。

数日実家に居て、寮に引っ越した。荷物は、震災の影響でもしかしたら予定通りにつかないかもしれないとのことだったが、無事予定通り着いた。大学3年の春に買った洗濯機は、実家の近所の農家に譲ることにして、そのまま業者に預けた。ダンボール箱を押しのけて、床に寝っ転がって寝た。6畳一室。キッチンは無く、トイレ・風呂・洗面台は共有。学生時代の寮の風呂は0時から翌15時までお湯が出なかったが、この寮は24時間お湯が出るというところが気に入った。母親が何度も地元から札幌まで来てくれて、近所のニトリで机を買って一緒に運んだり、札幌駅の無印良品でベッドを予約したりした。札幌は予備校時代に通っていたし、高校時代にもよく遊びに来ていたので、どこに何があるのかはなんとなく知っていた。服が買いたければ大通に行けばいいし、家具が買いたければニトリに行けばいいことも、映画を観たければ札幌駅に行けばいいことも知っていた。4月、研修を終えて配属になってからしばらくは、17時ちょっと過ぎには会社を出ることが出来た。5月には、毎日地下鉄を途中で降りて、タリーズに寄ったり、行ったことのないエリアを散策したりした。狸小路7丁目が好きになったのもこの時期だ(もともと狸小路は好きだった)。



1時間以上かけて振り返ってみて思うのは、やっぱり「新生活を始める」という行為が好きだ。

僕のこれまでの「新生活」は、いつだって、希望と不安と喜びに満ちていた。落ち着いた日常には落ち着いた希望と、落ち着いた不安と、落ち着いた喜びがある。

けれど、この「新生活」におけるそれらは、それら自体が希望と不安と喜びを帯びているような気がする。わくわくしていること自体が不安で、不安を感じていること自体がうれしくて、新しい生活をしていく嬉しさ自体にわくわくした。

今日、近所のスーパーに行った帰り、花束を持って地下鉄の駅を出てくる女性を観た。大学の追いコンか何かだったんだろう。先週の日曜日にロフトに寄ったら、手帳フェアと弁当箱フェアが同時に開かれていた。

地面を固く覆っていた雪は溶け、アスファルトが顔を出してきている。もちろん札幌はまだまだ寒い。花粉症なんてどこ吹く風だ。昨日も吹雪だった。
それでも、春だ。僕の好きな春とは違うけれど、これがこの土地の春なんだ。希望と不安と喜びに満ちた、新生活がそこらじゅうで始まろうとしている。僕は次の異動までしばらくは「新生活を始める」ことは無いだろうけれど、たまにはこうやっていろんなことを思い出しながら、それでも前を向きなおして歩みを進めて行きたい。学校を卒業したみなさん、新しい学校に入学が決まっているみなさん、就職が決まっているみなさん、そして全ての「新生活を始める」みなさん、おめでとうございます。

2011年9月14日水曜日

Macはネットだけしか使わない情弱向けか?

クラウドによるPC環境の進化とOffice for Mac、iPhoneの爆発的な普及により、個人ユーザーがWindowsからMacに乗り換える際のハードルは一気に低くなったと思う。今後は間違いなくMacのPC利用者が増加するね。古くからのMacユーザーは快く思わないかもしれなけど(笑)
僕は2009年秋にiPhone3GSを、去年の5月にiPadを買ってからはだいぶApple寄りになってはいたけれど今年の春まではWinユーザーで、4月にiMac 27"、6月にMBAを買ってようやくマカーになれた。

4ヶ月ほどMacを使ってみて思うのだけど、「Macはネットだけしか使わない情弱向け」なんて言われるけれど、これだけ「ネットだけ」でなんでも出来る時代には、それで十分なんじゃないか。

とは言え、僕はプログラミングもしないし、HTMLも今では使わないし、当然サーバーにアクセスすることもない。そして映像も画像も編集しなければ、DTMで音楽を作ったりもしない。

ただ、日経電子版は読むし、fujisanで雑誌も読むし、Evernoteにメモを取って、GoogleカレンダーやRTMで予定を管理したりはする。DVDやYouTubeも観るし、MP3も聴くし、FacebookやTwitterも使う。

Winじゃなきゃ出来ないこともしないし、Macじゃなきゃ出来ないこともしない。どちらででも出来ることしかしない。そうすると、WinでもMacでもいいのだ。そしてこういう人はたくさんいることだろう。

そうなると、WinかMacかを選ぶ基準は「使っていて心地良いか」しかなくなってくる。そこに注力しているMacにWinマシンが勝てるはずがない。

みたいなことをふと思いましたです。

2011年7月25日月曜日

じーさんとばーさん。

うちの母方のじーさんは酒こそ飲まなかったが麻雀に明け暮れ、じーさんが麻雀で作った借金は、俺が生まれる前の我が家を引越しさせる程のものだった。じーさんは晩年も麻雀仲間にいいように使われ、そんなじーさんに愛想を尽かしたばーさんは、70を越える歳にも関わらず離婚するか否かについて真剣に悩んでいた。俺は田舎町の一軒家で、おかんと弟と、じーさんとばーさんと暮らしていた。

それでもじーさんが亡くなる直前、ばーさんのじーさんへの介護はかいがいしいものだった。じーさんは亡くなる3年ほど前に脳梗塞で倒れ、一時は回復したものの、血流を滑らかにする薬を飲んでいたため、転んだ拍子に切れた脳の毛細血管からの内出血が止まらず、今度はくも膜下出血で入院、それから亡くなるまで寝たきりだった。

ばーさんは雨の日も雪の日も吹雪の日も、毎日自分で軽自動車を運転して20km先の隣市にある病院に通い、じーさんがうちの市内の病院に転院してきてからも、起きている時間のほとんどをじーさんの個室で過ごしていた。この頃高校生だった俺は、隣の市にあった高校から電車で帰ると、ときにまっすぐばーさんのいるじーさんの個室に寄ってから帰宅していた。

俺が高校を卒業して、100km離れた街の予備校に特急列車で通い始めてそろそろ10ヶ月になろうとしていた1月上旬、俺のセンター試験を目前にして、じーさんは生涯最後の2年間を過ごした病室で、とても静かに息を引き取った。涙を流したのは、危篤の報を聞いて東京から駆けつけていた伯母だけだった。ばーさんも、おかんも、しなければいけないことをただ黙々としていた。親類縁者への連絡、葬儀屋の手配、坊さんの手配…。ばーさんは泣かなかった。

通夜を終え、寺から火葬場に移動し、お別れの挨拶のとき。ばーさんが大声を上げて泣いた。
「じいちゃん!じいちゃん!さよなら!」
じーさんを彩る菊花と相まって、なんだかばーさんはとても美しかった。まるで、嫁いだばかりの少女になったようだった。ああ、ばーさんは女だったんだ。離婚を考えるほどどんなに辛い思いをしても、どれだけの苦労をさせられていても、それでもばーさんは半世紀以上もの時をじーさんと過ごしてきた。そのばーさんにとっての2人の時間の終わりは、儚くも美しいものだったのだと思う。俺はじーさんが亡くなった悲しみではなく、ばーさんのその美しさに涙が止まらなかった。


うさぎドロップ』のアニメの第1話を観ていたら、そんなことを思い出して泣けてきた。

うさぎドロップ、完結していたんだね。知らなかったよ。読み直さなきゃ。

2011年6月3日金曜日

今朝の出来事。

今朝の出来事。

当社の始業時間は8:40だが、社員はみな7:55くらいには出社して店舗のまわりの清掃をする。
しかし今朝は下痢のため家を出るのが遅れ、15分ほど集合時間に遅刻してしまった(とは言え始業時間の30分も前に着いているのだけど)。
始業して、店にお客様が入る前までのちょっとの時間、その遅刻に対する焦りは間違いなくあった。

それと同時に、最近は先輩方の「1枚の書類を処理するスピード」に衝撃を受け(やっと周りが見えるようになってきた)、そのスピードに追いつこうと、ルーチンワークの効率化をはかっていた。
例えば、「"各机に書類を配ったら、自席にいったん戻ってからさらに帳簿を取りに行く"のではなく、"配りに行ったその足で帳簿を取ってくる"と30秒は短縮できるな」とかって(小さな、そしてこれまで出来ていなかったことが情けないような)工夫もしているし、「この動作はあと3秒短縮しよう」とか「15枚の書類を処理するのに20分かかっていたけど15分に縮めよう」とか考えながら行動するようにしていた。
もちろん今朝もそれを実践し、朝のルーチンワークは20分かかっていたものが昨日よりも5分は縮められ、15分で終えることができた。

遅刻の焦りの大きさを業務効率化を達成した満足感の大きさが超えたちょうどその時、上司に呼び出された。

「今朝はなんか様子がおかしいがどうした?」
「やけに焦っている顔をしているぞ」
「ストレスがたまってきているんだ。今日は『ゆるく』やれよ」

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僕はふだん業務時間中は結構楽しんで仕事をしている。もちろんかったるく感じるときもあるし、怒られて落ち込むこともあるけれど、それでも基本的には(どういうわけか)仕事を楽しめている。
しかし一昨日、(上記と同じ)上司に呼び出されてこんなことを言われた。

「君は私や他の人と話しているときはすごくいい笑顔なのに、仕事中は本当に嫌そうな顔をしているな」

衝撃的だった。楽しく働いているつもりだったのに、そんなことを言われるなんて。
僕は顔のつくりがあまり恵まれておらず、目も「薮睨み」(斜視)なため、とくに感情がないときは不満気に見える、というのは分かっていたつもりだった。そこをまさに指摘された訳だ。

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そんな訳で、昨日も今朝も笑顔をものすごく意識して仕事をしていた。今朝の笑顔は働き始めてからでも最高の笑顔だったと自分では思っていた。

しかし、上司からはそう見えなかった。上司はたぶん、僕からみえていない僕を見てくれていたのだろう。
そして、
「ストレスがたまっている」
そう言われて初めて自分にストレスがたまっていることに気づいた。夕方、1ヶ月ぶりに熱が出た。

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このエントリで何が言いたいかというと、2つある。

1つは、ストレスってものは自分では気がつかないうちにたまるものであるということ。
その要因は様々で、「笑顔をこころがけよう」と思うことすらたぶんストレス要因になるのだろう。

サークルの友人は某オンラインショッピングモールを運営する企業に昨春入社したが、自分では楽しんで仕事をしていたつもりだったが6月頃から体調が悪くなり、7月に倒れて休職、そのまま年末には退職したという。

今日の終業直前、同期の様子がちょっとおかしかったのでどうしたのかなと思っていると、帰り道に「速く部署替わりしたいわ」とぼそっとつぶやいたりしていた。彼はここ数日手のひらがひどく荒れており、本人曰く「ストレスだと思う」とのこと。
彼も僕も幸いにして五月病にはかからなかった。
みんな笑顔で働いていても、6月という時期は、五月病にかからなかった者にとってはストレスからどこか調子が悪くなる時期なのだろう。北海道の春は遅く桜前線は1ヶ月遅れてやってくるが、五月病まで1ヶ月遅れてくるとはね。


もう1つは、「まわりが見えてくる」ということは「自分がどんな風に見られているか(評価ではなく、方法として)」も見えてくるということなのだということ。
あるいは、「誰が誰をどういうふうに見ているか」が見えてくるということ。
これはとても楽しい。

これまで上司が業務中何をしているのかなんて考えたこともなかった。自分のことで精一杯だった。しかし業務に慣れてきて少し周りが見えてくると、上司が普段何をしているのかがわかってきた。彼は職員の働き様を見ている。思い起こせば、「君はこういう感じになってるからこうしたほうがいい」とか「あの係の人はこういうふうに困っているから、こういうふうに助けあおう」とかいう発言はこれまでたくさんあった。そうして上司の姿を横目で追うと、彼はときたま手を止めてじっくりと部下の動きを観察している。なるほど、彼はやっぱり管理職なのだ。
こんな当たり前のことにも気付かなかった自分を情けなく思うと同時に、少しずつでも成長しているということがわかってなんだかうれしい。


という訳でこの先1週間くらいは、視野を広く持ちつつも、ちょっとゆるくやってみようかな、なんて思った1日だった。

2011年3月17日木曜日

姿勢は意図しないとつくれないよね。

各国が原発を止めたりなんなりしているのは、「原発が無条件に危険だから」じゃなくて、「人々が『原発は無条件に危険』と思っているから」なんだろうなあ。

実家帰って愕然としたのだけど、ばあちゃんも母さんも、Skypeは俺より使ってるのに、インターネット上の情報はまったく見ず、ほぼ100%テレビからの情報に頼っているということ。これは東京にいる60歳の伯母(Galaxy tabユーザー)もそう。

テレビが言っていることを「やっぱりこういうことなんだよね」なんて自分の言葉みたいに言う。テレビが全てであって、テレビ以外の情報はそもそも耳に入らない。耳に入らない以上、信じるも疑うもない。かなりの恐怖を感じた。

そしてきっとそういう人たちが日本にはたくさんいて、そういう人たちが「原発ってよくないよね。思ってた通り」なんてことを、「ウラン」って言葉さえ知らずに平気で口にする。

企業や政府の合理的な選択は、そういう人たちをそういう人たちとして受け入れ、そういう人たちに受け入れられる行動を取ること。果たして本当にそれでいいのかなんて思ってしまった。