それでもじーさんが亡くなる直前、ばーさんのじーさんへの介護はかいがいしいものだった。じーさんは亡くなる3年ほど前に脳梗塞で倒れ、一時は回復したものの、血流を滑らかにする薬を飲んでいたため、転んだ拍子に切れた脳の毛細血管からの内出血が止まらず、今度はくも膜下出血で入院、それから亡くなるまで寝たきりだった。
ばーさんは雨の日も雪の日も吹雪の日も、毎日自分で軽自動車を運転して20km先の隣市にある病院に通い、じーさんがうちの市内の病院に転院してきてからも、起きている時間のほとんどをじーさんの個室で過ごしていた。この頃高校生だった俺は、隣の市にあった高校から電車で帰ると、ときにまっすぐばーさんのいるじーさんの個室に寄ってから帰宅していた。
俺が高校を卒業して、100km離れた街の予備校に特急列車で通い始めてそろそろ10ヶ月になろうとしていた1月上旬、俺のセンター試験を目前にして、じーさんは生涯最後の2年間を過ごした病室で、とても静かに息を引き取った。涙を流したのは、危篤の報を聞いて東京から駆けつけていた伯母だけだった。ばーさんも、おかんも、しなければいけないことをただ黙々としていた。親類縁者への連絡、葬儀屋の手配、坊さんの手配…。ばーさんは泣かなかった。
通夜を終え、寺から火葬場に移動し、お別れの挨拶のとき。ばーさんが大声を上げて泣いた。
「じいちゃん!じいちゃん!さよなら!」
じーさんを彩る菊花と相まって、なんだかばーさんはとても美しかった。まるで、嫁いだばかりの少女になったようだった。ああ、ばーさんは女だったんだ。離婚を考えるほどどんなに辛い思いをしても、どれだけの苦労をさせられていても、それでもばーさんは半世紀以上もの時をじーさんと過ごしてきた。そのばーさんにとっての2人の時間の終わりは、儚くも美しいものだったのだと思う。俺はじーさんが亡くなった悲しみではなく、ばーさんのその美しさに涙が止まらなかった。
うさぎドロップ、完結していたんだね。知らなかったよ。読み直さなきゃ。
0 件のコメント:
コメントを投稿