2011年7月25日月曜日

じーさんとばーさん。

うちの母方のじーさんは酒こそ飲まなかったが麻雀に明け暮れ、じーさんが麻雀で作った借金は、俺が生まれる前の我が家を引越しさせる程のものだった。じーさんは晩年も麻雀仲間にいいように使われ、そんなじーさんに愛想を尽かしたばーさんは、70を越える歳にも関わらず離婚するか否かについて真剣に悩んでいた。俺は田舎町の一軒家で、おかんと弟と、じーさんとばーさんと暮らしていた。

それでもじーさんが亡くなる直前、ばーさんのじーさんへの介護はかいがいしいものだった。じーさんは亡くなる3年ほど前に脳梗塞で倒れ、一時は回復したものの、血流を滑らかにする薬を飲んでいたため、転んだ拍子に切れた脳の毛細血管からの内出血が止まらず、今度はくも膜下出血で入院、それから亡くなるまで寝たきりだった。

ばーさんは雨の日も雪の日も吹雪の日も、毎日自分で軽自動車を運転して20km先の隣市にある病院に通い、じーさんがうちの市内の病院に転院してきてからも、起きている時間のほとんどをじーさんの個室で過ごしていた。この頃高校生だった俺は、隣の市にあった高校から電車で帰ると、ときにまっすぐばーさんのいるじーさんの個室に寄ってから帰宅していた。

俺が高校を卒業して、100km離れた街の予備校に特急列車で通い始めてそろそろ10ヶ月になろうとしていた1月上旬、俺のセンター試験を目前にして、じーさんは生涯最後の2年間を過ごした病室で、とても静かに息を引き取った。涙を流したのは、危篤の報を聞いて東京から駆けつけていた伯母だけだった。ばーさんも、おかんも、しなければいけないことをただ黙々としていた。親類縁者への連絡、葬儀屋の手配、坊さんの手配…。ばーさんは泣かなかった。

通夜を終え、寺から火葬場に移動し、お別れの挨拶のとき。ばーさんが大声を上げて泣いた。
「じいちゃん!じいちゃん!さよなら!」
じーさんを彩る菊花と相まって、なんだかばーさんはとても美しかった。まるで、嫁いだばかりの少女になったようだった。ああ、ばーさんは女だったんだ。離婚を考えるほどどんなに辛い思いをしても、どれだけの苦労をさせられていても、それでもばーさんは半世紀以上もの時をじーさんと過ごしてきた。そのばーさんにとっての2人の時間の終わりは、儚くも美しいものだったのだと思う。俺はじーさんが亡くなった悲しみではなく、ばーさんのその美しさに涙が止まらなかった。


うさぎドロップ』のアニメの第1話を観ていたら、そんなことを思い出して泣けてきた。

うさぎドロップ、完結していたんだね。知らなかったよ。読み直さなきゃ。

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