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2012年4月8日日曜日

J!NS PC注文したったー。


J!NS PC(http://bit.ly/Ikx9h7 )注文したったー。2012年4月7日 - 23:19 via YoruFukurou
いまのメガネは新宿ミロードのJ!NSで大学4年の冬(2010年12月)に買ったもの。
高橋優が「素晴らしき日常」のPVの中でかけていたウェリントン型のメガネがかっこよくて、当時Air frameと『ワンピース』とのコラボが話題になっていたJ!NSで似たものを探して買った(さすがにもう型落ちしたらしい。 http://www.jins-jp.com/Products/Detail/number/MTR-12S-006/98/ これに似てる)。たしか7,990円だったと思う。

高橋優「素晴らしき日常」
名曲なのでぜひカラオケで歌っていただきたい。

1年間と3か月かけてきたけど、会社ではボロクソに言われていた。「それは銀行員のメガネではない」「コントのサラリーマンみたいだな」「お前ただでさえ顔怖いのに、そのメガネのせいでもっと怖くなってるぞ」。「銀行員のメガネ」ってなんだよ、、、。

髪を短くした日なんかは尊敬するサブカルパジャマトークの@gamellaさんにそっくりで別に嫌いではなかったのだけど、たしかに、僕の顔だとこのウェリントンメガネは知的かつ優しい雰囲気を出す力を与えてくれてはいなかった。

だから、業務中はメガネをかけずスーツの胸ポケットにいれていたりした。そのせいでレンズは傷つくし、いざという時に遠くが見えなかったりして、結構非効率的だった。あるときは、メガネをかけずに遠くの人を呼んだらなかなか振り向いてもらえず、メガネをかけ直して改めてみたら全然違う人だった、なんてこともあった。

そこでJ!NSでまたメガネを買いたいな、とは思ったものの、北海道にはJ!NSが無い。
店舗検索ページの「地図で検索」には「北海道」の記述があるにも関わらず、リンクは張られていない。早く北海道にも店舗を! 
そこで、J!NSのオンラインショップで買ってみることにした。J!NSでは、店頭で計測した度数情報を入力することでメガネを購入することが出来る(もちろんその他の買い方も出来る)。幸い、2010年に店頭で視力を測ってから視力はあまり変わっていないので、その時の情報をそのまま使うことにした。度数情報は保証書に記入されている。

買おうと思ったのはコレ。


サイズがきっちり表記されていて、手持ちのJ!NSのメガネのサイズ表記と比べることで大きさが把握できるし、「メガネ向いてHoi! / Salon de MEGANE!」というサービスを使って、自分の写真にメガネをかぶせてみて動かしてみることもできたので、インターネットでメガネを買うことに対してそこまでの抵抗はなくなっていた。

が、さすがにちょっとだけ抵抗が残る。4,990円という格安価格とは言え、いきなり度付きメガネを買うことはないんじゃないか。

そこで、twitterでRTされてきて知ったJ!NS PCを手始めに購入してみることにした。

会社ではPCに向かう時間<書類などに向かう時間なので多分会社にはかけていかない。
が、自宅では「目焼き」でおなじみのiMacに3時間くらい向かいっぱなしになることもあって結構疲れがたまるので、届くのがすごく楽しみ。

というところまでが本エントリの本旨。それ以上でも以下でも無いのだけど、ちょっと記録しておこうと思って。

2012年3月4日日曜日

「学歴社会」を作り上げた本質って。


業界内の試験、10月に無勉で受けて落としたやつ、今日(参考書見ながら自己採点だけど)8割くらい取ったったー。高校入試以来大学3年の頃まで「勉強の仕方」がわからなかったんだけど、ようやく掴めてきたかも。Sun Mar 04 05:26:11 via YoruFukurou

世の中にはたくさん「勉強法」の書籍やらサイトやらが転がっていて、それをその通りやれば確かに効率的なんだろうけど、その「勉強法」の実践の「仕方」ってのは言語化出来ない経験的なもので、こればっかりは手を動かしてゴリゴリやるしかない。

「勉強する能力」ってのは暗黙知なので、獲得するのはすごく難しい(熟練が必要)。やっぱり、勉強の得意なやつと一緒に勉強して(「共体験」を通して)技術を盗むのがうまいやり方なんだろう。

んで、「『勉強する能力』を持っているやつから学ぶ能力」ってのもまた暗黙知で…、って堂々巡り。しかしその内面化の技術や共同化の技術を早くから獲得しているやつが良い高校に入り、良い大学に入る。入試はそういう風に機能しているんだと思ってる。

「内面化の技術や共同化の技術」って書いたけど、ひっくるめると「SECIモデルをひとりで上手にぐるぐる回せる技術」がカネを生む上でも豊かで文化的な人生を送る上でも大事なんだろうと思ってる。そしてそれが出来るやつじゃないと良い大学に入れないことが多い。だから企業は大学名を見る。

というのが「学歴社会」を作り上げた本質なんだろうと思ってるんだよね、って話。SECIモデルとか「内面化」とか「共同化」って言葉が気になった人はこのへん(http://bit.ly/xpA5vL http://amzn.to/wJsrXO )をどうぞ。

2012年3月3日土曜日

光学式ドライブの死。


"光学式ドライブはもう死んでいるといっても過言では無い":2012年の新型Macbook Proはこうなるだろう : ギズモード・ジャパン http://t.co/CW3Svk0FFri Feb 17 14:36:29 via bitly


光学式ドライブの死。まだ「死んだ」とは言えないと思うけど、iTunesのアイコンからCDマークが消えてしまったように、やがて光学式メディアは死んでいくだろうことは容易に想像がつく。

音楽も、映像も、アプリケーションも、「CD」や「DVD」から手に入れることって減ってきている。
iTunes storeのAAC ファイルの音質はもはや必要十分を満たしているし、YouTubeの画質は日々向上して、ついには現行のDVDの水準に容易に達するだろう。
アプリケーションだって、一昔前ならヨドバシカメラのPCソフトコーナーでパッケージを買ってきて自宅のPCにインストールしていたが、いまではそのほとんどがオンラインでダウンロードできてしまう。僕のiMacのBoot Campで使っているWindows 7はMicrosoft Online Storeでダウンロードしたものだ。

やがて「ふつうの暮らし」の中ではCDやDVDの存在意義は極端に小さくなる。ハイビジョンテレビという再生装置はともかく、Blu-rayみたいなメディア自体のハイスペックさは、マスな人たちは誰も必要としていない。

だから2008年、ワーナーが(当時次世代メディアとしてBlu-rayと競合していた)HD DVDからの撤退を決めたとき、HD DVD陣営の東芝の勝利が決まり、Blu-ray陣営のパナ・SONYの敗北が決まった。彼らは、CD全盛の時代に「超高性能」のレコードを開発したようなものだ。

もちろん、光学式メディアは「まだ」死んでいない。実家の母は今でもテレビの韓流ドラマをHDDレコーダーに撮り、DVDに焼いて保存している。僕もTSUTAYAでCDやDVDをよく借りる。CDやDVDは、まだ死んでいないし、しばらくは死なない。

でも、Appleが指向するように、光学式メディアの死はやがて訪れるのだろう—というところまでが実はすべて2008年頃の議論。さて、このあとどうなるのか、というのが面白いところ。

今はまだ光学メディアが「必要な人」が多い時代でマーケットも十分にあるからやっていけるし、これからも「必要な人」は絶対数いるだろうけれど、それはレコードやカセットテープが必要な人が今も居るのと同じで、やがて徐々に痩せ細っていくのだろう。

光学メディアを含めた物理メディアの需要はこれからもなくならないんだろう。レコードはとうの昔に主流じゃなくなったけれど、それでもその価値は未だ色褪せない。わざわざLPでリリースするアーティストもまだたくさんいるし、「レコードの音質」が好きなリスナーも多い。

物理メディアの需要はこれからもなくならないし、今と違った活躍をすることだってありえるんだと思う。バーチャルなメディアと物理メディアそれぞれのこれからのあり方って、めちゃくちゃ面白いテーマ。紙の本と電子書籍が戦っているのも、乱暴に言えば似たような話なんだと思う。

例えば映像に限って言うと、DVDという「モノ」として所有したいって欲求はきっとなくならないんだと思う。メディアに対して、人の欲求をどう考えるか。思えば就活時期、そこがいちばん面白くてやってみたいテーマだった。

インターネットは速度やらセキュリティやらに不安が残る関係で大容量光学メディアは残りそうだけど、「主役」ではなくなってしまうことに違いは無いんだと思うんよね。

2012年1月18日水曜日

かついだ神輿は簡単にはおろしちゃいけないって話。

「リーダー」ってもんを担ぐ以上、担ぐ側は担ぐ事に対して責任を持つべきだとは思う。神輿はしっかり持てよ、ってことだと思ってる。

でもそれはあくまで「担ぐこと」に対しての責任であって、つまりチームや集団に対する責任、コミットメントなんだと思う。決して「リーダー」自体に対する責任ではない。似て非なるものだと思う。

決して「リーダーのために」担いでいる訳ではないんだと思う。例えば、「上司のために」仕事をするわけじゃないし、サークルの代表のために活動に参加するわけじゃない。「リーダー」がそれを理解していないと、チームはまわせないんじゃないかと思う。

だから上司は「ありがとう」の使い方に気を付けないといけないと思う。だから、「今日も頑張って働いてくれてありがとう」とかって言葉は、「別にお前のために働いたんじゃないよ」という反感を買うんだと思う。

担ぎ手は、一度担いだ神輿は簡単におろしちゃいけないし、神輿に乗る側は簡単に振り落とされるようじゃいけない。それがチームのためであり、つまるところ各々のためなんだと思う。

別に仕事でなんかあったとかじゃないです。最近仕事楽しいしね。

2011年12月3日土曜日

自分しか見えなくなった瞬間に負ける。

今日は剣道の試合だったんだけど、2試合して1試合目は引き分け、2試合目は1本取ったあとに2本立て続けに取られて負けた。2人とも勝てる相手だった。悔しくて、YouTubeで全日本選手権の動画観ちゃったりしてた。

剣道はよく「自分との戦い」なんて言うけれど、それは「対戦を通して自分と戦う」訳であって、最初から自分しか見ていなかったら試合には負ける。自分しか見えなくなった瞬間に負ける。

1試合目は、2週間ぶりに防具を着けて、準備体操すらろくにせずに臨んだら全然体が動かず、寒さで震え始めて、手脚が思ったとおりに動いてくれなかった。相手も似たような感じだったから負けずに済んだ。

しかし2試合目が問題だった。1試合目のおかげで体が少し温まったので、ある程度思ったとおりに動けたけれど、面を1本取ったところで油断してしまい面を取られ、すぐに焦って自分の動きしか見えなくなってしまい、面を取りに行ったところで小手を決められて負けた。

この試合(8:45~に注目)もそうだと思う。原田五段が自分しか見えなくなった瞬間を、鈴木六段は見逃さなかった。たぶん原田五段は、自分しか見えなくなったときに負けた。

原田五段は、8分を超える試合の中で、肉定的にも精神的にも疲れがたまってきて、その精神的な疲れから緊張が解けてしまい、そこに面を決められたんだと思う。その精神的な疲れに対して気を緩めないことこそ、「己に克つ」ことなんじゃないかと思ったり。


ところで日常においては明確に「勝ち負け」が決まることなんて少なくて、仮に決まったとしてもその喜びや悔しさは日常の中にかき消されてしまって、「勝った!」みたいな満足感や「負けた!」という悔しさ・清々しさを味わえることって滅多にない。

そもそも日常においては、「俺とお前」の勝負ってもんがあまり無い。複雑に絡み合った競争関係の中を、総合力で戦っていくような状況しか無い。
ルールも明確じゃない。何が勝ちなのかさえわからない。会社で出世すれば勝ちなのか?かわいいあの娘をあいつに取られたら負けなのか?

1対1(あるいはチーム対チーム)の勝負で、ルールに則ってスコアがついて、明確に勝ち負けが決まって、その喜びや悔しさを次の「勝負」につなげられるようなアクション。非常に単純な「勝負」。そんなものが生活の中に必要だなあ、なんてことを学生時代に『ちはやふる』を読んで思っていたけど、会社に入って剣道をまた始めて、本当によかったと思う。






2011年8月6日土曜日

Amazon.comで買い物をするのに、デビットカードを使うという話。

@tt012424 あ、デビットカードだと即時〜数日での引落なので、「いまのレートで買い物!」なときに買い物できるのですね!便利!less than a minute ago via YoruFukurou Favorite Retweet Reply


@tt012424さんはtweet非公開なのでここには貼れなかったのだけど、さっきやりとりしていてちょっと衝撃を受けた。

Amazon.com(アメリカのアマゾン)で買い物をするのに、デビットカードを使うという話。これ、もう一般的な手法なのかな?

一般的には、海外現地での買い物とか海外サイトでの買い物にはクレジットカードを使うことが多いんじゃないかと思う。しかしそれでは為替レートが「注文時」ではなく「決済(預金口座からの引落)時」のものになってしまう。そしてクレジットカードの決済は通常、注文から1ヶ月近くかかる。
つまり、たとえいま円高でも1ヶ月後とかの決済時にはどうなっているのかわからず、「安い!」と思ってした買い物も実は高くなっていたりすることもありえる。

だがデビットカードなら、即時決済または数日後までに引き落しになるので、「いまのレート」で決済できるわけだ。

「円高になると海外からの輸入品が安くなり、円安時には高くなる」から「我々消費者の経済活動にも影響があるよね」なんてのは高校の政治経済くらいで聞く説明だけど、デビットカードの利用と「Amazon.comなど海外Amazonでの買い物が別に珍しくも難しくもなくなってきている」ことの組み合わせは、ちょっとこの説明を変えてしまう。間に入っていた業者をとっぱらって、取引の主体が消費者個人になっているのだ。「円高になると海外から安く輸入でき、円安には高くなる」時代。個人輸入がごく当たり前になる時代。ちょっとした衝撃だった。

#8/20 タイトル追記。

2011年7月25日月曜日

覚悟を決められる人が幸せなんだと思う。

クラブで夜中まで過ごして、タクシーで帰って、寝て起きて、株価とか見たりクラブで飲みながら考えたこととか普段仕事に対して考えてることとか思い出したりして、やっぱり自分の居場所はクラブのフロアーには無いんだと思った。楽しかったけど、あそこで踊り続ける人生は嫌だ。

"Life is a dance floor."なんて言うけど、楽しいのはフロアーの中で踊る人なのか、パーティを主宰する人なのか。そして、楽しければいいのか、儲けられればいいのか。搾取したいのか、搾取されたくないのか。

哲学とは「善く生きるとは何か」を考える事だとして、それって多分、人の世は様々な方向を持った様々な内容の「移転」の組み合わせで出来ていて、その中で自分はどういうスタンスを取るのか、なんてことと言い換えられるんじゃないかと思ったり。

ああでもない、こうでもない、と様々な価値観の軸があって、「どの軸を取るのが善い生き方か」という問題なのではなく、自分の決めた軸を貫くことが善い生き方なのだろう。

「左の頬を打たれたら右の頬を差し出しなさい」って価値観は、損得勘定の世界の中では間違っている(損をする)のだと思う。「右の頬を差し出すことが『善い生き方』なんだよ」なんて綺麗な言葉を、そのまま受け入れられるのか受け入れられないのか。

何が「幸せ」なのか。「世の中カネがすべてじゃないが、それでもカネがないと何も出来ないよ」と言って資本主義の中で得をするのが幸せなのか、両頬を打たれても「それでいい」なら幸せなのか、そもそもそれらはどちらも「カネかカネじゃないか」という意味で結局カネに捕らわれているのか。

明快な答えなんて出せずに2000年以上も経っていて、そもそも明快な答えなんて多分出す必要がなくて、そんななかでいちばん幸せなのは「自分はこう生きる」というスタンスを決めて覚悟できている人なんだと思う。どんな生き方だっていいが、覚悟が決まっていればそれでいいんだと思う。

2011年4月24日日曜日

「ふむふむ」で終わらせないことの大切さ。

「ふむふむ」で終わらせないことの大切さ。例えば「風呂入ろうと裸なのに揺れてる」などの女子のtweetに対して「ふむふむ」で終わらせるよりも、その背景や具体的な様子とか、「自分がその場にいたらどう振る舞うか」とかをイメージする。それだけで世界は変わる。less than a minute ago via TwitBird Favorite Retweet Reply


だいぶ前のtweet。
ちょっと照れくさかったので下ネタ絡めたけど、何事も「ふむふむ」で終わらせるのはとてももったいない。

新聞、読んでますか。読むのにどれくらい時間かかってますか。
新聞じゃなくてもニュースサイトのRSSフィードでもいいんだけど、さらっと見出しだけ読み飛ばして読んだ気になっていやしないか。
自分はそうなってしまっていて、これってちょっともったいないなあ、と。

「ふむふむ」「へえ、そんなことがあったんだ」で終わらせるんじゃなくて、その背景にある事実・事情や、その事実・事情が起こす未来に考えをちょっとでもいいから考えを巡らせてみる。

もちろん新聞に限った話じゃない。本を読んでも、人の話を聞いても、街を歩いていて何かを目にしても、「ふむふむ」で終わらせない。「ふむふむ」って実はなんにも考えてなくて、ただ思考停止してるだけ。

あるいは、当事者になったつもりで(もしかしたら当事者である場合もあるかもしれないけど)「自分ならどう振舞うか」「自分への影響は」を考えてみる。
それだけで、見える世界の広さは格段に変わってくる。

そのために効果的なのは、広く浅くでもいいからやっぱり知識を持つことだと思う(*1)。言い換えれば、その情報の背景を考察するための材料をたくさん持っておくこと。

これまで日経新聞のマーケット面なんか読んでもスルーしてたんだけど、ちょっと株式業務のこととか勉強しただけで、一気にマーケット面は最高のエンターテインメントになった。

やっぱり、「ふむふむ」で終わらせるのはもったいない。



*1:広く浅い知識を身につけるのに、国公立大入試の受験勉強ってすごく効果的だったなあって思う。一見将来の役に立たなさそうな知識の詰め込みも、思考をつくる材料としては素晴らしいものだった。

2011年3月18日金曜日

就活の「選択と集中」。

これは当然就活でも言える。:人生には「選択と集中」が大事な瞬間がある http://bit.ly/eNmZf3

「ESを50社に出した」みたいな話は「どこでもいいから就職したい」人がよく口に出すけど、それでうまくいく人もいるけれど、実は真似しないほうがいいんじゃないかと思う。
自分の時間とエネルギーを分散させているんだから。

50社にESを出しても、その中で比重をつけられるならいいと思う。
50社どれも均等な質のものを書くのって、そもそも時間やエネルギー(やアタマ)がある人ならやれるしやればいいけど、普通の人はそうじゃないはずで、ならば選択と集中をしたほうがいいんじゃないか。

言われ尽くしていることだけど、「どこでもいいから就職できればいい」じゃなくて、その企業で自分が仕事をしている姿をしっかりイメージ出来る企業のESを書いた方が、当然ながら質は上がる。
その姿がイメージできないなら書かない方がいい。

とはいえ、ESを書いていくうちに「自分がその企業で働いている姿」がつくられてくることも多い。
だから、業界研究・企業研究をして、ESに手を付けてみて、なお企業研究をして、それでもESが書けそうにないならとっとと次の企業のESに移った方がいいんじゃないかな、とか思いながら就活してた。

ちなみに業界研究とか企業研究とか仰々しい言葉だなあと思うけれど、別に「研究」なんてしなくてよくて、好きな人やモノができたときにその人やモノのことをよく知ろうとするのと同じようにやればいいんじゃないかと思う。

その人と付き合っている自分をイメージする。あるいは、そのモノを使っている自分をイメージする。
正しくイメージするには、「きっとあの娘はこういう人」とか「あの商品はこういうもの」みたいな勝手な妄想じゃなくて、現実に即した、詳細な情報がいるはず。

「もっとあの娘のことを知りたい」「もっとあのブランドについて知りたい」みたいな欲求って大なり小なりあるはず。そういう欲求から、現実に即した詳細な情報を集めればいいだけだと思う。

2011年3月17日木曜日

「イイネ!」が定義する人間関係について。

Facebookやmixiで「イイネ!」ボタンってあって、それを押すたびに思うんだけど、「イイネ!」って確かに人間関係を丸くしてくれる必殺技なんじゃないか。しかしその一方で、なんかうさんくさいと言うか。

「イイネ!」がうさんくさいっていうのは、「それほんとに『イイネ!』って思ってる?」ってことで、あるいは「自分は『イイネ!』と思ってるけれど、それは伝わっているかな?」ということで。

あと、「イイネ!」で終わらせちゃいけない話に「イイネ!」をつけるのはやっぱり軽く感じる。これもまたお互いにそうなんだと思う。

それでも「イイネ!」がうさんくさくない関係をつくるのは、やっぱり「イイネ!」を続けることなんじゃないかと思う。自分は心から「イイネ!」を言い、受け手もそのことをわかってくれている関係。それが出来れば、別にもう「イイネ!」なんていらない。

SNSの「イイネ!」ボタンって、結局のところ「イイネ!」を言わなきゃいけない関係を越えさせるものにはならないんじゃないかと思う。逆に言うとSNSが人間関係のあり方を定義することもあり得そうで、それってなんだか寂しいなあと思ったり。

これどっかで読んだことあるなあ。実感したってだけか。

姿勢は意図しないとつくれないよね。

各国が原発を止めたりなんなりしているのは、「原発が無条件に危険だから」じゃなくて、「人々が『原発は無条件に危険』と思っているから」なんだろうなあ。

実家帰って愕然としたのだけど、ばあちゃんも母さんも、Skypeは俺より使ってるのに、インターネット上の情報はまったく見ず、ほぼ100%テレビからの情報に頼っているということ。これは東京にいる60歳の伯母(Galaxy tabユーザー)もそう。

テレビが言っていることを「やっぱりこういうことなんだよね」なんて自分の言葉みたいに言う。テレビが全てであって、テレビ以外の情報はそもそも耳に入らない。耳に入らない以上、信じるも疑うもない。かなりの恐怖を感じた。

そしてきっとそういう人たちが日本にはたくさんいて、そういう人たちが「原発ってよくないよね。思ってた通り」なんてことを、「ウラン」って言葉さえ知らずに平気で口にする。

企業や政府の合理的な選択は、そういう人たちをそういう人たちとして受け入れ、そういう人たちに受け入れられる行動を取ること。果たして本当にそれでいいのかなんて思ってしまった。

2011年3月7日月曜日

「迷惑をかけることが辛い人」

多分「迷惑をかけることが辛い人」ってのはいて、そういう人は誰かに寛大な対応をされればされる程辛いんだろう。寛大度合いって裏返せば自分の迷惑かけてる度合いな訳で。

僕はたぶん性分的には「人に迷惑をかけても全然平気」なタイプなんだけど、頭ではそれをよくないと思っていて、被害者になろうとするから困る。

2011年3月4日金曜日

電車旅と車旅の違い。

1、2日はゼミ生と卒業旅行で伊豆に行ってきたんだけど、伝統的な観光地の力を思い知った。到着当初は「古っ!」「ボロっ!」とかネガティブな印象だったんだけど、帰る頃にはノリノリ。1泊2日はちょうどよかった。

先月末の四国・中国旅行や今回の卒業旅行は、一切電車に乗らずに車だけでの移動だったんだけど、電車旅と車旅の違いがちょっと見えた気がする。

電車はその土地・地方のサマリーを手に入れられて、車だともう少し詳細な部分を手に入れられる感じ。電車ではあまり感じられない道の起伏には驚かされるし、往く人々の表情には1人1人のリアルが垣間見える。生活のシーンにお邪魔する感覚。

今回は結構長い時間運転させてもらえたんだけど、車楽しい!「若者の車離れ」とか言うけど、俺は早いとこ車欲しいわ。200kmでも300kmでも走れる。電車が「店で飲むコーヒー」なら、車は「自分で淹れるコーヒー」。疲れるけど、楽しい。

ちなみに伊豆旅行は事前に地図とか一切見ずに行ったんだけど、帰宅後地図見て恥ずかしくなった。自分が居る場所まったくわかってなかった。道中iPhoneで地図見ようにも電波が入らないところもあったし、紙の地図ってまだまだ便利やも。

2011年2月28日月曜日

知恵と熱意を融通する機関。

「金融」って言葉は「金を融通する」って書く。色々な金融商品が増えて来てはいるけど、その本質は「いま金が必要じゃない人」と「いま金が必要な人」の間に立つ事だと思う。

地方には、資源はあるのに知恵が足りない。熱意が足りない。一方で、東京だとかには知恵も熱意も溢れている。これから先、この間に立つのは、大手総合商社でもコンサルでもメガバンでもなく、地銀だ。

地銀は、金だけを融通する機関から、知恵を融通する機関になる。僕は、僕を育ててくれた故郷のために、知恵と熱意と金を融通する仕事がしたい。的なことを面接で言ったなあとふと思い出した。

2011年2月23日水曜日

直島の観光地化。

岡山なう!そして直島。 http://twitpic.com/42evkd

直島、地域振興に携ろうとしている人で、「観光」を考えたい人は、いま観に来た方がいい。絶対いい。

「観光地化」って、1.計画、2.合意、3.施策実施、4.維持、とかになると思うんだけど、いま直島はまだ3の段階。3時間ちょいうろついてみて思うのは、直島って本当に住民との合意が取れているのかってこと。そこがうまく行っていなければ観光地化は成功しない。

観光地化の合意(計画者と住民との)で難しいのは「事実」の解釈の違い。シャッター街を「閑静」と取るか「寂しい」と取るかって、実は人それぞれ違う。

だから、「どんな街にするか」はもちろん重要だけど、「どうやってつくって行くか」、つまり合意形成のプロセスが何よりも重要になる。ここを疎かにした観光地化は最終的にはうまくいかない。

「行きたい街」と「住みたい街」は違うもの。直島は、鎌倉みたいに両者を融合させ得るか否か。"いま"の直島、絶対にみた方がいい。

2011年2月17日木曜日

「褒められること」ってあんまり無いよね。

ふと思ったんだけど、ここしばらく「ほめられる」ことって無いな。 なんで特に何も無いのにしんどいのかなって考えたら、それなりに頑張った(別に自分のために頑張っただけで誰の役にも立ってないけど)のにほめられてなくて、辛いことばかり起こるからだ。

むかしから、別に「褒められて伸びる」タイプでもなく「厳しくされて伸びるタイプ」でもなくて、アメとムチのバランス感覚がすごく難しいめんどくさい人だったんだけど、「ほめられたい」欲求は強い方だった。

俺にとって「大人になる」ことって「アメとムチを自家発電できるようになる」ことだったんだなって気付いた。最近出来るようになってきて、大人になったなあとか思うけど、本音はやっぱり誰かに無条件にほめられたりしたい。キャバクラ!?キャバクラに行くべきなのか!?

2011年2月15日火曜日

人に話が伝わらない3パターン。

人に話が伝わらない場合ってこの3種類なんじゃないかと思う。1.相手に読解力が足りない、2.表現力が足りない、3.運動としての喋り方が悪い(滑舌が悪い、早口、声が小さい)。

人に自分の話を理解してもらえない理由として相手の読解力をあげる人ってちょこちょこいるけど、表現力が無かったり喋り方が悪い場合ってのも結構多い。

これまで「この人何言ってんだろ?」って思った中で一番たちの悪いパターンは、まず早口×滑舌が悪いっていうフィルターがあり、それを通り抜けると表現が下手で、ようやくなに言ってるのか理解できたけどあまり価値の無い話で、そして理解に時間がかかったのを相手の読解力のせいにしてるパターン。

2011年2月14日月曜日

読点を入れ方次第でどんな文章も上手なコピーっぽくなりそう。

コピーライターをしている大学の先輩の仕事。「出会いたかった、一台がある。」新卒1年目でばりばり働いていてかっこいい。: 全国統一BMW Motorrad認定中古車フェア http://bit.ly/ehuGue

コピーのことって一切勉強したこと無いからもしかしたら失礼なこと言ってるかも知れないけど、読点("、")の使い方次第でどんな文章もそれなりにかっこよくなるんじゃないかと。それをうまく使えるのがプロなんだろうけど。

「いまどうしてる?」も、「いま、どうしてる?」でそれっぽくなる。

でも当然「それっぽい」だけじゃ響かなくて、どうやって響かせられるようになるかっていうと、やっぱりウン千本のコピーを書いていくしかないんやろなとか思った。

2011年2月11日金曜日

ホ・ジノ監督作品を全部観てみた。

一昨日の夜から韓国のホ・ジノ監督が撮った映画全部観る祭りしてて、時系列順に観ていってやっと全部観終わった。最新作の『君に微笑む雨』、個人的にはまってしまった。

『君に微笑む雨』(http://bit.ly/dKHjHL )、2009年の作品なんだけど、韓国人男性が韓国から中国に出張に行ったら、アメリカ留学してたときの女友達と再会してなんやかんやって話なんだけど、その出張先がなんと四川省成都。

成都の国際空港も、車が車線を一切守らないことも、僕らが一昨年ゼミで行った時となんにもかわんなくて、冒頭10分で興奮しっぱなし。

あと、主人公2人が米国留学中の思い出を語り合うんだけど何故か齟齬があって、それがまた「僕は君と付き合っていたじゃないか。覚えていないの?」「私があなたと?あなたはサトコと付き合っていたじゃない」とか言ってて1人爆笑してた。

1人の監督の作品を全部観終わって思うのは、ある1人の人が創ったもの全部観る・読む・聴くことって、「視点」を養うのにすごく貢献する気がする。視点が養われてくると、ほかの作品を鑑賞するのがきっとものすごく楽しくなる。

特に映画って結構「俳優」しばりで観がちだけど、「監督」で観るのはとても勉強になった。映画ファンは最初からそういう見方してるんだろうけど。

それでも、丸2日間ハングル漬けだったのはしんどかった。日本語とか他の言語が恋しくなってきたところで、『君に微笑む雨』でようやく英語と中国語が出てきて、なんだかほっとしてしまった。

2011年2月9日水曜日

なぜTVCMはYouTubeにアップされない?

CMの契約書って、書籍の契約書的に「型」が決まっているんだろうか。そりゃそうか。書籍はその契約で「電子書籍化」を盛り込んで無いのでいま(ちょっと前?)トラブってるみたいだけど、CMをYouTubeにあげられないのってタレントとの契約上許されないからだよね。

面白いCMつくる→Twitter、Facebookで口コミ狙う、ってんならYouTubeじゃなくても自社サイトに動画のっけりゃいいんだけどさ。西友とかそのつもりだと思うんだけど。YouTubeでなきゃいけない理由はないよなあ。吉高由里子かわいい。

自社サイトで必要条件満たせちゃうからめんどくさい契約どうこうしてまでYouTubeにあげようとは思わないかなと思って。

タレント事務所側の問題だと思う。クライアント側はできるだけ拡散したいんだろうが、タレント事務所側が肖像権保護をうたって認めないんだろうなと思ったり。理解できん。

テレビ番組でもそう。ドラマはDVD化してるけど、バラエティでもせっかく作ったんだからオンデマンド配信なりなんなりで売ればいいのに。権利が邪魔をしているんだろう、と。