2011年12月3日土曜日

自分しか見えなくなった瞬間に負ける。

今日は剣道の試合だったんだけど、2試合して1試合目は引き分け、2試合目は1本取ったあとに2本立て続けに取られて負けた。2人とも勝てる相手だった。悔しくて、YouTubeで全日本選手権の動画観ちゃったりしてた。

剣道はよく「自分との戦い」なんて言うけれど、それは「対戦を通して自分と戦う」訳であって、最初から自分しか見ていなかったら試合には負ける。自分しか見えなくなった瞬間に負ける。

1試合目は、2週間ぶりに防具を着けて、準備体操すらろくにせずに臨んだら全然体が動かず、寒さで震え始めて、手脚が思ったとおりに動いてくれなかった。相手も似たような感じだったから負けずに済んだ。

しかし2試合目が問題だった。1試合目のおかげで体が少し温まったので、ある程度思ったとおりに動けたけれど、面を1本取ったところで油断してしまい面を取られ、すぐに焦って自分の動きしか見えなくなってしまい、面を取りに行ったところで小手を決められて負けた。

この試合(8:45~に注目)もそうだと思う。原田五段が自分しか見えなくなった瞬間を、鈴木六段は見逃さなかった。たぶん原田五段は、自分しか見えなくなったときに負けた。

原田五段は、8分を超える試合の中で、肉定的にも精神的にも疲れがたまってきて、その精神的な疲れから緊張が解けてしまい、そこに面を決められたんだと思う。その精神的な疲れに対して気を緩めないことこそ、「己に克つ」ことなんじゃないかと思ったり。


ところで日常においては明確に「勝ち負け」が決まることなんて少なくて、仮に決まったとしてもその喜びや悔しさは日常の中にかき消されてしまって、「勝った!」みたいな満足感や「負けた!」という悔しさ・清々しさを味わえることって滅多にない。

そもそも日常においては、「俺とお前」の勝負ってもんがあまり無い。複雑に絡み合った競争関係の中を、総合力で戦っていくような状況しか無い。
ルールも明確じゃない。何が勝ちなのかさえわからない。会社で出世すれば勝ちなのか?かわいいあの娘をあいつに取られたら負けなのか?

1対1(あるいはチーム対チーム)の勝負で、ルールに則ってスコアがついて、明確に勝ち負けが決まって、その喜びや悔しさを次の「勝負」につなげられるようなアクション。非常に単純な「勝負」。そんなものが生活の中に必要だなあ、なんてことを学生時代に『ちはやふる』を読んで思っていたけど、会社に入って剣道をまた始めて、本当によかったと思う。






0 件のコメント:

コメントを投稿