2011年4月24日日曜日

「ふむふむ」で終わらせないことの大切さ。

「ふむふむ」で終わらせないことの大切さ。例えば「風呂入ろうと裸なのに揺れてる」などの女子のtweetに対して「ふむふむ」で終わらせるよりも、その背景や具体的な様子とか、「自分がその場にいたらどう振る舞うか」とかをイメージする。それだけで世界は変わる。less than a minute ago via TwitBird Favorite Retweet Reply


だいぶ前のtweet。
ちょっと照れくさかったので下ネタ絡めたけど、何事も「ふむふむ」で終わらせるのはとてももったいない。

新聞、読んでますか。読むのにどれくらい時間かかってますか。
新聞じゃなくてもニュースサイトのRSSフィードでもいいんだけど、さらっと見出しだけ読み飛ばして読んだ気になっていやしないか。
自分はそうなってしまっていて、これってちょっともったいないなあ、と。

「ふむふむ」「へえ、そんなことがあったんだ」で終わらせるんじゃなくて、その背景にある事実・事情や、その事実・事情が起こす未来に考えをちょっとでもいいから考えを巡らせてみる。

もちろん新聞に限った話じゃない。本を読んでも、人の話を聞いても、街を歩いていて何かを目にしても、「ふむふむ」で終わらせない。「ふむふむ」って実はなんにも考えてなくて、ただ思考停止してるだけ。

あるいは、当事者になったつもりで(もしかしたら当事者である場合もあるかもしれないけど)「自分ならどう振舞うか」「自分への影響は」を考えてみる。
それだけで、見える世界の広さは格段に変わってくる。

そのために効果的なのは、広く浅くでもいいからやっぱり知識を持つことだと思う(*1)。言い換えれば、その情報の背景を考察するための材料をたくさん持っておくこと。

これまで日経新聞のマーケット面なんか読んでもスルーしてたんだけど、ちょっと株式業務のこととか勉強しただけで、一気にマーケット面は最高のエンターテインメントになった。

やっぱり、「ふむふむ」で終わらせるのはもったいない。



*1:広く浅い知識を身につけるのに、国公立大入試の受験勉強ってすごく効果的だったなあって思う。一見将来の役に立たなさそうな知識の詰め込みも、思考をつくる材料としては素晴らしいものだった。

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