"Life is a dance floor."なんて言うけど、楽しいのはフロアーの中で踊る人なのか、パーティを主宰する人なのか。そして、楽しければいいのか、儲けられればいいのか。搾取したいのか、搾取されたくないのか。
哲学とは「善く生きるとは何か」を考える事だとして、それって多分、人の世は様々な方向を持った様々な内容の「移転」の組み合わせで出来ていて、その中で自分はどういうスタンスを取るのか、なんてことと言い換えられるんじゃないかと思ったり。
ああでもない、こうでもない、と様々な価値観の軸があって、「どの軸を取るのが善い生き方か」という問題なのではなく、自分の決めた軸を貫くことが善い生き方なのだろう。
「左の頬を打たれたら右の頬を差し出しなさい」って価値観は、損得勘定の世界の中では間違っている(損をする)のだと思う。「右の頬を差し出すことが『善い生き方』なんだよ」なんて綺麗な言葉を、そのまま受け入れられるのか受け入れられないのか。
何が「幸せ」なのか。「世の中カネがすべてじゃないが、それでもカネがないと何も出来ないよ」と言って資本主義の中で得をするのが幸せなのか、両頬を打たれても「それでいい」なら幸せなのか、そもそもそれらはどちらも「カネかカネじゃないか」という意味で結局カネに捕らわれているのか。
明快な答えなんて出せずに2000年以上も経っていて、そもそも明快な答えなんて多分出す必要がなくて、そんななかでいちばん幸せなのは「自分はこう生きる」というスタンスを決めて覚悟できている人なんだと思う。どんな生き方だっていいが、覚悟が決まっていればそれでいいんだと思う。
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