2011年7月25日月曜日

覚悟を決められる人が幸せなんだと思う。

クラブで夜中まで過ごして、タクシーで帰って、寝て起きて、株価とか見たりクラブで飲みながら考えたこととか普段仕事に対して考えてることとか思い出したりして、やっぱり自分の居場所はクラブのフロアーには無いんだと思った。楽しかったけど、あそこで踊り続ける人生は嫌だ。

"Life is a dance floor."なんて言うけど、楽しいのはフロアーの中で踊る人なのか、パーティを主宰する人なのか。そして、楽しければいいのか、儲けられればいいのか。搾取したいのか、搾取されたくないのか。

哲学とは「善く生きるとは何か」を考える事だとして、それって多分、人の世は様々な方向を持った様々な内容の「移転」の組み合わせで出来ていて、その中で自分はどういうスタンスを取るのか、なんてことと言い換えられるんじゃないかと思ったり。

ああでもない、こうでもない、と様々な価値観の軸があって、「どの軸を取るのが善い生き方か」という問題なのではなく、自分の決めた軸を貫くことが善い生き方なのだろう。

「左の頬を打たれたら右の頬を差し出しなさい」って価値観は、損得勘定の世界の中では間違っている(損をする)のだと思う。「右の頬を差し出すことが『善い生き方』なんだよ」なんて綺麗な言葉を、そのまま受け入れられるのか受け入れられないのか。

何が「幸せ」なのか。「世の中カネがすべてじゃないが、それでもカネがないと何も出来ないよ」と言って資本主義の中で得をするのが幸せなのか、両頬を打たれても「それでいい」なら幸せなのか、そもそもそれらはどちらも「カネかカネじゃないか」という意味で結局カネに捕らわれているのか。

明快な答えなんて出せずに2000年以上も経っていて、そもそも明快な答えなんて多分出す必要がなくて、そんななかでいちばん幸せなのは「自分はこう生きる」というスタンスを決めて覚悟できている人なんだと思う。どんな生き方だっていいが、覚悟が決まっていればそれでいいんだと思う。

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