2012年10月3日水曜日

友達は増えていく過程が面白い。

人間ってのは関係性が近づいていく過程が面白く、モノってのは手に入れて使いこなせるようになるまでが楽しいもんなんだと思う。

大学に入ってすぐの時期、サークルの新歓とかで知らない同級生や先輩と話すのって、不安だけどむちゃくちゃ楽しいもんだと思う。でもそこで知り合った人の中で、卒業時まで親しく出来る友人になるような人ってのは、きっとごくわずかだ。

2010年初頭、友達がiPhoneを持ってるのを見て、便利そうだと思ってガラケーからiPhone 3GSに機種変更した人ってのは多いんじゃないかと思うけれど、その人達はiPhoneを手に入れた直後、きっと、誰にも言わないけれど叫びだしたくなるくらい楽しかったんだと思う。っていうかたぶん部屋で叫んでいたんだと思う。でもそういう人たちは、2年も経つときっと手に入れた当初よりはiPhoneに触らなくなっている。

10年経っても20年経っても続く友情ってのはきっとむちゃくちゃに少なくて、家族以外とはそういう関係を続けられていない人がほとんどなんだと思う。
子供の頃から使っているモノを、20代になっても(壊れていない限り)使い続けている人っていうのもきっとほとんど居ない。

人間の関係性も、モノへの愛着も、きっと滅多に続かない。
友情は新たな友情へと更新され、お気に入りのおもちゃは新しいおもちゃに買い換えられる。

プロダクトライフサイクルってのはきっとそういうことなんだろうと、ふと腹に落ちた。

もちろん、中には(家族以外で)ずっと続く人間関係もあるし、ずっと使い続けているお気に入りのモノはあると思う。「出来上がった関係性」を成熟させていくことが出来る人、ってのは確かにいるし、そういう関係性ってのも確かにある。
でも、それは希少だ。希少だから、ずっと続く人間関係やモノとの関係はドラマになってもてはやされる。

人間の関係性も、モノへの愛着も、きっと滅多に続かない。続いているのはレアなケース。100人のうち100人が小学校の頃の友達と今でも仲良しなんてことは無い。
「出来上がった関係性」を成熟させていくプロセスは、とても難しいし、その面白さは簡単には理解されない。

だから、「出来上がった関係性」を可視化・固定化しきってしまったmixiは廃れ、それを一旦リセットして新たに組み上げていく楽しみを提供してくれるFacebookが流行る。

mixi上で友達が書いた日記に気の利いたコメントをし、自分の書いた日記にもコメントをもらう、なんてサイクルを回し続けるのが楽しいはずがない。限界的な楽しさみたいなものは、徐々に小さくなっていく。

mixiがそうであったように、いま楽しんでいるFacebookで、10年後も「いいね!」なんて言っている姿が想像できない。「ソーシャルグラフ」を構築・可視化・固定してしまうことの宿命なんじゃないかと思う。だから、つながりがゆるやかなTwitterは残り、Facebookはきっと廃れるんだろう、と思う。

そんなことが、ふと腹に落ちた。でも腹減った。夕飯何食べよう。

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